2022年03月18日 1715号

【本当のフクシマ/原発震災現場から(通算65回)/12年目迎える福島/局面変える被害者の闘い】

 事故から11年を過ぎ12年目に入る福島。原発再稼働に向けた巻き返し策動が強まる一方、局面を根本的に変える闘いも始まった。

甲状腺がん提訴

 福島で甲状腺がんにかかった当時6歳〜16歳の若者6人が東京電力を相手取り、6億1600万円の損害賠償を求める訴訟を起こした。原告のうち2人は甲状腺の片側を切除、残る4人は全摘出に追い込まれた。ある原告は「体調がずっと優れないため、望んでいた仕事をあきらめざるを得なかった。人に話すことで差別を受けるのではないかと恐怖を感じ、誰にも言えず10年間を過ごしてきた」と苦しい胸の内を明かす。

 弁護団長を務める井戸謙一弁護士は「福島県民健康調査では必要のない手術をしているという過剰診断論が流布されているが、原告らのがんは進行している」と指摘。過剰診断論を「誤り」と明確に否定する。

 因果関係を否定する御用学者と、関係があると主張する反原発の市民とが、沈黙させられた被害者抜きに闘いを繰り広げていたのが事故後11年の福島だった。筆者自身、事故後の福島の異常な同調圧力を体感しており、当事者が名乗り出られない事情は理解しながらも、そのために正しい主張がいつまでも認められない悔しさを募らせてきた。

 当事者が立ち上がった裁判で筆者が最初に感じたのは、原告らに攻撃が及ばないかという心配だった。だが、裁判支援のため立ち上げられたクラウドファンディング(インターネット募金)は開始わずか18日間で当初目標の1千万円を突破した。原発事故への激しい怒りが日本社会の底流に依然として渦巻いていることが証明された。

 すでに、県民健康調査委員会の星北斗座長も、甲状腺検査を「受けたくない人が受けさせられているのではないかとの声もあったが、生徒への聴き取りの結果そうではなかった」と内堀雅雄知事に報告している(21年6月)。過剰診断論は事実の前に崩れてきている。

語り始めた若者

 北海道札幌市に移住し、講演・執筆活動を続けるわかなさん(仮名)は3・11を福島県伊達市で経験した。被災当日の午前中は中学校の卒業式だった。いつもより早めに帰宅後、自宅で激しい揺れに襲われた。

 伊達市は避難指示区域以外では最も汚染が激しかった場所のひとつだ。事故後は避難が必要かどうかをめぐって身近な大人たちが争うのを見て心身に異常を来したという。希望の高校に合格したのに、親に決断を迫られ「自分の意思で」山形への避難を決断。短大生当時に札幌に移住した。昨年3月、『わかな十五歳〜中学生の瞳に映った3・11』(ミツイパブリッシング)を出版し思いを語った。

 「この状況は誰のせいなの? 誰か答えて」と悩みながら過ごした山形の高校での3年間は人生で最も苦しい時期だったが、自分に正直になって新しい人生を切り開く上で必要な準備期間だった」という発言を、筆者は2019年4月、札幌でのチェルノブイリデー集会で聞いている。

 事故後、福島県庁に「風評・風化対策監」が設置された。原発事故被害をタブー化する同調圧力をみずから作り出しておきながら風化対策とは噴飯物だ。そんな中、事故当時は発言力のなかった「小さな被害者たち」が11年を経て大人になり、語り部として言論タブーを打ち破りつつある。

風評も実害だ

 国・東電が早ければ来年にも予定している汚染水の海洋放出にも様々な形で反対の闘いが続いている。東電が「安全」と主張するトリチウム以外の核種が混じった水が全体の7割を占めることは原子力規制委員会も認めている。

 全漁連、福島県漁連、多くの周辺自治体も海洋放出に反対している。漁業者が風評被害の話しかしないことに対する不満の声も筆者は聞いている。だが、原発事故がなければ風評被害もあり得なかった。風評被害も立派な実害なのだ。

 ささいな違いにこだわるのでなく、風評被害も含めて実害だと認識し、甲状腺がん患者も漁業者も手をつなぐことが必要だ。国・県・東電以外はみんな被害者。12年目に入ってもそのことに変わりはない。

      (水樹平和)



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