2022年04月22日 1720号

【シネマ観客席/牛久 USHIKU/監督・撮影・編集トーマス・アッシュ 2021年 日本 87分/入管施設の人権侵害を暴く】

 在留資格のない外国人を“不法滞在者”として収容している入管施設の実態を告発したドキュメンタリー映画『牛久』(トーマス・アッシュ監督)が各地で公開中だ。自称「おもてなしの国」で横行する人権侵害の数々―。本作は日本の民主主義を問うている。

被収容者の訴え

 昨年3月、名古屋入国管理局の施設に収容されていたスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった(享年33歳)。ウィシュマさんは自力で歩けないほどに衰弱していたが、入管当局は必要な医療を提供せず、一時的に収容を解く「仮放免」の申請も拒み続けた。まさしく死に至らしめたのだ。

 この事件はメディアで大きく報じられたが、日本の入管施設で横行する人権侵害の「氷山の一角」にすぎない。2007年以降、17人もの人びとが収容施設で死亡しているのだ。外界から隔絶された場所で一体何が起きているのか。

 映画の舞台は茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」、通称「牛久」である。退去強制が決まった外国人を地方施設から受け入れ、送還するまでの間、収容する施設だ。しかし実際には4〜5年閉じ込められている人がいるなど、長期収容が常態化している。

 トーマス・アッシュ監督は一切の撮影・録音が禁止された牛久において、被収容者の了解のもとに隠し撮り取材を敢行した。カメラが捉えたのは、非人間的な扱いを受けて傷つきながらも、解放を求めて闘う人びとの姿であった。

何が「おもてなし」だ

 牛久の被収容者には日本に対して難民申請をしている者が大勢いる。戦争に巻き込まれ祖国から逃げてきた者、政治的な理由で帰国すれば迫害を受ける恐れがある者、性的マイノリティであるがゆえに差別を受け日本に生きる場所を求めてきた者、などなど。

 しかし、日本の入管当局は個別の事情を一切考慮せず、「不法入国」「不法滞在」として扱い、無権利状態で拘束し続けている。長期の収容によって精神的に追い詰められ、自殺を図る者も少なくない。

 面会室のアクリル板越しに語られる訴えは悲痛そのものだ。「刑務所は刑期が決まっているが、ここはいつ出られるかわからない」「日本はおもてなしの国だなんて、よく言うよ。これがおもてなしかよ」「1年半、私は血を吐いていました。でも病院に連れてってくれません」「僕たちはここで死んでいく。ゴキブリみたいに」

 ハンガーストライキで抵抗するクルド人男性デニズさんを入管職員が力づくで「制圧」する場面は衝撃的だ。この映像はデニズさんが訴えた裁判で、国が証拠として東京地裁に提出したもの。つまり、入管側がビデオ撮影した映像だ。

 5〜6人の職員がデニズさんの首や手を押さえつける。「息ができない。死んでしまう」との悲鳴を聞いても離さない。米ミネソタ州で黒人男性が警察官に膝で首を押さえつけられ殺された事件(2020年5月)の動画を思い浮かべた人は多いだろう。

 別の被収容者は数人の入管職員に拘束され、無理やり空港に連れていかれた。暴力行為を目撃した航空会社が搭乗を断ったため強制送還は免れたが、その後も先が見えない収容生活が続いている。

事実を映像で見せる

 アッシュ監督はもともと、教会のボランティア活動の一環として牛久を訪れた。当然、映画制作のことは念頭になかった。だが、被収容者と面会し話を聞くうちに、「なかったことにされないように、記録を残しておかなくては」との使命感が湧いたという。

 「撮影を許可されない中で、彼らの証言を記録するには隠し撮りをするしかありませんでした」とアッシュ監督。ところが日本のメディアの中には「ルール破り」を問題視する反応もある。「日本だけですよ。そこばかり注目されるのはね」。これほどの人権侵害を見て、その反応とは…。飼い犬根性、ここに極まれりというほかない。

 昨年7月に亡くなられたテレビディレクターの岡庭昇さんにインタビューしたことがある(本紙1990年5月4日・11日号)。彼は映像ジャーナリズムの基本を次のよう述べていた。「議論ではなく事実である。そして事実は映像である。だからこそ権力側や企業側は議論は邪魔しません、絶対に。ところが、原発で働いている下請け、孫請け労働者の顔を撮りに行くのは徹底して邪魔しますよ」

 権力が隠しておきたい事実を映像で見せることが肝心ということだ。本作が強い説得力を持つゆえんである。「この日本で今行われている人権侵害を知ってなお、放置し黙認するのか」。映画は観る者にこう問いかけている。    (O)

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