2022年04月29日 1721号

【岩国・愛宕山 旧海軍航空廠フィールドワーク 朝鮮人強制労働の歴史に触れる】

 3月27日、ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)広島は、岩国市愛宕山(あたごやま)地下に眠る旧海軍第11航空廠(軍需工場)岩国支廠跡のフィールドワークを実施した。企画したZENKO広島・日南田成志さんから報告が寄せられた。

 岩国市は太平洋戦争末期の1945年3月から8月にかけて9波に及ぶ爆撃を受け千人以上の死者を出している。飛行場や給油所など様々な軍事施設が存在していたのだ。今では米軍住宅やスポーツ関連施設、公園など一連の開発整備が完了した愛宕山地区一帯も7月28日に空襲を受けた。その地下には、旧海軍の戦闘機「紫電改」を製造する地下飛行機工場があった。

 本土空襲が激化した太平洋戦争末期、各地の拠点軍事工場の分散移転(=工場疎開)が進められた。その一環として、呉市広町にあった旧海軍第11航空廠の一部が愛宕山地下へ移設された。45年1月から約5千人(その大半が朝鮮人労働者)を動員し、突貫工事で6月に完成したという。総延長約2`、高さ3・5b、幅3〜4bの巨大な地下トンネルが網の目のように張り巡らされた。現在は、内部に入ることはできないが、頑丈なコンクリートでうち固められた入口部分は何か所かで確認できる。

90年代調査団の蓄積

 当日は田村順玄・元岩国市議に案内していただいた。90年代初頭、朝鮮人強制連行真相調査団が結成され、各地で強制連行・強制労働の実態を明らかにする活動が展開された。当時、岩国市職労委員長だった田村さんは、岩国地区調査団団長として調査活動にあたった。地元の老人からの聞き取り、まだ入ることができた一部のトンネルの内部調査、県内全寺院に遺骨の有無の確認も行った。市職員でもあった田村さんは、岩国市に朝鮮人強制連行に関連する公文書が残っていないかを調べ、市役所の地下室に11点の関連文書が残存していることがわかった。

 その中の「埋火葬認許証」に、愛宕山の地下トンネル工事に従事させられた朝鮮人の一部(150人分)について、名前、出身地、死因等の記載があることが確認された。明らかに栄養失調と思われる病死や、暴行や落盤事故等と思われる死因が多数記載されている。亡くなったこれらの朝鮮人の遺骨については、唯一岩国市の龍門寺が9柱を預かっていることが判明。調査団は法要を営んで調査に臨んだという。

 他の遺骨はどこでどのように処理されたのだろうか。日本社会は、それをいまだ明らかにできていない。40年から45年にかけての朝鮮人強制連行・強制労働に関連する公文書は、その大半が敗戦時に焼却処分されてしまったからだ。

加害の記憶を語り継ぐ

 私たち一行6人は田村さんの案内で、南岩国の緑ヶ丘住宅地の山際に点在する地下トンネルの入口を見て回った。中には、民家の裏口に面するトンネルの入口もあった。住宅地の端にある街区公園には岩国市が説明板を設置していた。しかし、その説明板には、この地域の地下トンネル工場で紫電改の製造が行われ組み立て工場があったことのみが記述され、5千人もの朝鮮人が動員され多くが命を失った史実の記載は一文字もなかった。

 今回のフィールドワークでは、朝鮮人強制連行真相調査団の地元での調査活動の実際を詳しく聞け、貴重な学習ができた。

 現在、日本政府は、強制連行・強制労働の被害者に対する加害責任をなかったことにするキャンペーンを国内外で展開している。それと一体で、ウクライナ危機に乗じ「核共有」「9条改憲」「敵基地攻撃能力の保有」まで公然と語られている。私たちは、そのような歴史を顧みない破廉恥な勢力に対して、アジアの民衆とともに、戦争を止め、平和を切り開くために、加害の歴史を学び、記憶し、今と次の世代に語り継ぐ営みをさらに広げていきたい。







MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS