2022年05月06日 1722号

【未来への責任(347) ウトロの歴史抹殺を許さない】

 京都府宇治市のウトロ地区は、元々は戦前、軍用空港転用も可能な「京都飛行場」建設のために集められた1300人の朝鮮人労働者を収容する地だった。6畳の板間と3畳の土間という風雨を凌ぐだけの粗末な連棟長屋の飯場であった。1945年8月の敗戦により、そこで暮らしていた労働者と家族は何ら補償も受けられず放置され、飯場跡に集落を形成した。

 これが「不法占拠」だと行政施策からも排除され、水道も戦後30年余り引かれず、大雨が降ると必ず床上・床下浸水の被害が生じていたが、対策もされない劣悪な環境に置かれ続けた。

 1989年には、転売で土地の権利を取得した所有者から建物収去(取り壊し)土地明け渡し訴訟が起こされ、60年以上生活してきた住民の権利は一切認められず2000年に最高裁で判決が確定した。植民地支配と侵略戦争の犠牲となり戦後も差別と排除の日本社会で暮らしてきたウトロ住民の「生存権」を日本の司法は否定した。

 この事態に住民と「ウトロを守る会」は、国連人権委員会に「居住の権利」を求めて活動を開始した。そして2001年9月、国連の社会権規約委員会の総括所見でウトロ問題が取り上げられ、その後2005年7月に国連の「現代的形態の人種主義、人種差別、外国人嫌悪および関連する不寛容に関する特別報告者」がウトロを訪れ、「政府はこれらの住民がこの土地に住み続ける権利を認めるための適切な措置をとるべきである」とする報告書が出された。

 これを機に支援が大きく広がり、韓国の財団が資金を拠出して土地を購入。行政が「ウトロ住環境改善事業」として公営住宅を建設し2018年第1期40戸の住宅に住民が入居することができた。戦後70年余を経てようやく「居住の権利」が保障された。

 ところが昨年8月30日、地区の住宅・倉庫7軒が放火により焼失した。倉庫にあったウトロの歴史を後世に伝えるために建設計画が進んでいた「ウトロ平和祈念館」に展示する資料も焼失した。

 逮捕された22歳の容疑者は放火の動機を新聞記者に対し「コロナ禍で困っている人がいるのになぜ支援が必要なのか」「命に及ぶリスクはあってもそれくらいしないと伝わらない、後悔はない」と述べた。在日朝鮮人の戦後史の縮図とも言えるウトロの歴史を抹殺しようとする行為はまさにヘイトクライム(憎悪犯罪)である。

 その祈念館がいよいよ4月30日にオープンする。祈念館を支えていかなければならない。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 中田光信)

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