2022年05月06日 1722号

【哲学世間話 「国際世論」の二重基準】

 4月14日付け毎日新聞の「オピニオン」欄に掲載された「侵攻をめぐる二重基準」という記事が反響を呼んでいる。「二重基準」とは、いわゆるダブル・スタンダードのことである。著者は中東が専門領域の著名な国際論の学者である。

 ロシアのウクライナ侵攻と20年前の米欧によるアフガニスタンへの軍事介入、およびその2年後の米・英等のイラク侵攻。「同じ大国による軍事介入でありながら国際社会の反応がこうも違うものか」という「非欧米諸国からの批判」を見逃すべきではないと著者は言う。

 難民受け入れ基準等にもはっきり認められるさまざまな「二重基準」のうちでも最も重大なのは、「軍事介入」に対する「評価」の「二重基準」である。「ロシアの軍事介入は絶対的な悪だが、国際社会は20年前の米国のアフガン戦争を『良い介入』とみなした」。かつて、アフガンとイラクに対して米英が一方的に仕掛けた戦争は、「対テロ戦争」であり「正義」と「自由」のための戦争と主張された。「国際世論」なるものもこの評価を追認してきた。だが今回のロシアの侵攻を「国際世論」はけっして「良い介入」とは認めない。そのこと自体は正しい。

 誤解のないように言っておけば、著者はいわゆる「どっちもどっち」論に与(くみ)して、ロシアの軍事介入の「悪」を相対化しようとしているのではない。ともに「絶対的な悪」である、大国による一方的な軍事侵攻に対する「国際社会」のダブル・スタンダードをこそ問題にしているのである。

 著者はさらに、ロシアが自らの軍事介入を正当化している「論理」が「米国が行なった中東の戦争での物言いとグロテスクなほど酷似している」ことも指摘している。大国が自らの軍事介入の犯罪性を、それ以上の「正義」や「善」をもち出して正当化しようとするのは、今も昔も同じである。問題は、それに対する「国際世論」の評価の「二重基準」のほうである。

 そのような「二重基準」がまかり通っているのは、著者が言うように、「国際規範」なるものが大国の「利益追求を正当化する口実」にされ、「徹底的にゆがめられ恣意的に利用されてきたため」である。「日本も西側の一員として足並みをそろえるべし」などという論理は、ゆがめられた「国際基準」に無批判に追随するものにほかならない。

  (筆者は元大学教員)
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