2022年07月01日 1729号

【未来への責任(351)具志堅隆松さん福島へ(上)】

 4月30日〜5月5日、東日本大震災の今を知る旅に出る。ガマフヤー(沖縄の洞窟を掘る人)具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さんからの誘いである。目的は、原発わきで津波に襲われた福島県大熊町の木村紀夫さんの娘さんの捜索活動を行うことだった。

 5月1日から捜索活動が始まった。木村さんの娘の汐凪(ゆうな)ちゃんのランドセルが見つかった場所の坂の下では、5年前にマフラーと、その中に首の骨が見つかった。そこから数b横で今年の1月に、具志堅さんが奇跡的に大腿骨を見つけた。

 木村さんは昨年、ラジオに出演し「いつまで遺骨を探しているのか?」「社会のためになるのか?」という空気があると話したところ、リスナーから「沖縄の遺骨のまじった南部土砂を基地に使うぐらいだから…」という電話があり、木村さんはとにかく一度沖縄に行ってみようと具志堅さんを訪ねた。一緒にガマ(洞窟)に入り、戦後77年たっても遺骨を掘り続ける沖縄の取り組みを見て「子どもを探すことを自信持って続けよう」と思ったそうだ。

 そんな交流の中、今年1月に具志堅さんが大熊町での3年ぶりの捜索に参加した。1月の遺骨発見を、具志堅さんは「お父さんと汐凪ちゃんが引き合ったからだ」と言う。

 昼から雨が降ってきた。でもみんな濡れながら汐凪ちゃんに近づこうと黙々と作業を続ける。作業が終わりスクリーニング検査場では両足の裏の放射能検査が行われた。

 大熊町役場の近くの宿舎に戻る。連休と言うのに食べるところもない。大熊町は住民登録では1万3千人いたが、現在元住民は約300人しか住んでいない。小中学校は今はない。小学生が一人、となり町に通っているそうだ。

 翌日は若者たちの参加もあり作業は16名で行った。この場所は海まで150b、原発まで3キロほどのところにある。ガリガリ、ジャリジャリ土を掘る。粘土質の土までの深さ30aまでの間に、瓦のかけら、歯ブラシ、靴下、茶碗のかけら、CDなどありとあらゆるものが出てくる。震災のがれきや流れ着いたものがある深さまでは骨がある可能性がある。

 5月3日は捜索作業から1人抜け出し石巻に電車で出発した。クラウドファンディングから協力していた大川小学校の映画『生きる』の試写会に参加するためだ。

 常磐線は帰還困難区域の外側や内側を走る。大熊町の大野駅から電車に乗ったのは私一人だった。石巻は街、人が動いているが、大熊町は原発事故の影響を未だに受け続けている。改めてその差にショックを受けた。

(戦没者遺骨を家族のもとへ連絡会 上田慶司)

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