2022年11月04日 1746号

【未来への責任(360) 「笹の墓標展示館」東京巡回展から】

 10月5日から13日まで、東京・築地本願寺第2伝道会館を会場にして「笹の墓標展示館」東京巡回展が開催され、私も参加させていただいた。平日にもかかわらず、年配の方はもとより、若い方まで幅広い年代の方が来場されていたのが印象的だった。主催者によると期間中約千人の方が来場されたそうだ。それだけ惹きつける力がこの展示会にはあったのだと思う。

 「笹の墓標展示館」は北海道雨竜郡幌加内町朱鞠内(ほろかないちょう しゅまりない)にある。元は光顕寺というお寺で、戦時下の強制労働犠牲者を弔い、位牌、遺品等を管理してきた。それを「空知(そらち)民衆史講座」が引き継ぎ、1995年に「旧光顕寺・笹の墓標展示館」とした。

 ここは強制労働犠牲者の遺骨を発掘する「東アジアワークショップ」の拠点でもあった。展示されている位牌や遺骨箱、写真などを見ていると、数十年にわたりこの展示館を守り受け継いできた人々の思いが時空を越えて迫ってくるようだった。

 会場の一角では遺骨発掘作業のドキュメンタリー映像も上映された。専門家の指導の下、次々と見つかる遺骨。それも頭と足が重なり乱暴に投げ込まれたような状態だった。強制動員され犠牲になった労働者の死と向き合い、日韓をはじめ世界各地から集まった若者の遺骨発掘に必死で取り組む姿に胸を打たれた。

 このワークショップから多くの若者が巣立った。現在、韓国の民族問題研究所の対外チーム長、通訳として活躍する金英丸(キムヨンファン)さんもその一人。映像にはその若き日の姿も映っていた。今や強制動員問題や靖国合祀問題の日韓の架け橋として無くてはならない存在だ。

 振り返って、私の関わってきた日鉄釜石裁判でも1995年の提訴前後では、若い仲間で現地フィールドワークを企画し、岩手の高校の先生と調査活動に取り組んだ。しかし、仕事をしながらの裁判準備、原告の来日対応、対企業交渉など、東京での訴訟活動の負担が大きくなり、次第に疎遠になってしまった。もし当時「笹の墓標展示館」のような運動と交流し、学ぶ機会があったら、日鉄裁判ももっと豊かな取り組みができたかもしれない。

 東日本大震災後、毎月のようにボランティアで釜石に通ううち、艦砲戦災体験者の千田ハルさんを通じて、市内の平和団体と知り合うことができ、市長交渉などにも参加。戦災犠牲者調査事業に関わる中で、韓国人犠牲者全員の認定を実現することができた。釜石は朝鮮人・中国人・連合国捕虜の強制労働の現場であり、艦砲戦災の犠牲の現場でもある。展示を見ながら、釜石でも世代や国境を越えた戦争の体験を受け継ぐ交流の輪を広げたいという夢が湧いてきた。

(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)

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