2022年11月11日 1747号

【時代はいま社会主義へ 第23回 民主主義的社会主義へ(2) 社会主義ソ連はなぜ崩壊したか】

2.非民主主義的政治制度

 行政的指令的経済管理制度と表裏一体をなすのが非民主主義的政治制度であった。

 資本主義の労務管理・抑圧による生産システムに対し、社会主義の発展は労働者が自主的に創造的に生産に取り組むことでもたらされる。しかし、非民主主義的政治制度の下、労働者の自主性は失われていった。ソ連の政治制度において、労働者、市民は実質的に一切の発言権を持たず、共産党政治局を中心とした党官僚がすべてを決定していた。一般の労働者、市民はソ連経済の発展に関心を持たず、経済の停滞がもたらされた。

 筆者がインタビューした際に聞いたのは、ある研究所では週休2日のはずが、金曜日の午後から郊外のダーチャ(小さな小屋=菜園付きのセカンドハウスのようなもの)に出かけ、出勤してくるのは月曜日の午後からということであった。

 失業の恐怖がなく、医療・教育の無償化が実現し、労務管理のないソ連において、経済発展は労働者が自主的に創造的に生産に取り組むしかなかったが、それをできなくしたのが非民主主義的政治制度であった。

 他方、帝国主義国では、アメリカ・レーガン政権、イギリス・サッチャー政権のもと新自由主義路線がとられ、民営化が進められ、労働者への搾取強化が徹底的に進められた時期であった。労働運動が弱体化し資本の支配が強まっていった。この帝国主義国における生産性の上昇が社会主義との格差を拡大した。

 また、アメリカ帝国主義は支配拡張のため軍拡を進めた。ソ連は社会主義の発展と世界平和のために平和共存のもと軍縮を進めなければならなかったが、1968年チェコ、1979年アフガニスタンへの侵攻など、帝国主義との軍事緊張激化政策をとった。その結果、軍事費の増大により経済発展に向ける予算が抑えられ、ソ連経済はさらに停滞することになった。

 3.ペレストロイカによるソ連経済の再建の試み(T)

 このような状況に対し1985年ソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフはペレストロイカを打ち出した。ペレストロイカとは再建を意味するロシア語である。

 ゴルバチョフはペレストロイカの要点について「一人ひとりが国や、自分の働く企業、職場、機関の主人だと思うようになることである」と言う(ゴルバチョフ『ペレストロイカ』講談社、1987年、33ページ)。

 MDS(民主主義的社会主義運動)は「ペレストロイカとは80年代半ばまでに生じた諸々の否定的現象(前危機的状況)を克服し、社会的・経済的発展を加速化することによって、社会主義建設の全面的な成功を実現しようとするソ連共産党の長期的戦略である」(前川一郎「ペレストロイカのめざすもの」『統一の理論』18号、1990年、7ページ)と評価した。

 ペレストロイカの主要な内容は次回に見ていく。 《続く》
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