2022年11月25日 1749号

【哲学世間話(35) 統一教会と自民党の「家族―国家観」】

 旧統一教会と自民党議員との「選挙協定」が大きな問題としてメディアにとり上げられた。その「協定」は第1項に「憲法改正」を、第2項に「家庭教育支援法の制定」を盛り込んでいる。

 なぜここに「家庭教育」の問題が入っているのか。ちょっと不思議な感じがしないでもない。しかし、実は「家庭・家族」の役割を見直すことは、自民党や各種右派団体の改憲草案に共通する重要項目なのである。

 自民党の改憲草案は、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される」とする「家族保護条項」を入れている。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲草案は「国家・社会の基礎となる家族保護の規定」を掲げる。安倍元首相のブレーンが創った「日本政策研究センター」の「改正草案」も「家族保護条項」を柱の一つとする。こうした例は、枚挙にいとまがないほどである。

 「家庭や家族を大切にしよう」などということは、わざわざ「法」に謳(うた)うまでもないことであろう。右派が言おうとしているのは、そんな一般的なことではなく、「家族」こそ「国家・社会の基礎」であるべきだということなのである。

 なぜ「家族」を「国家・社会の基礎」としたがるのか。それは、「家族」が「血で繋がった」もっとも「自然」で、もっとも強い共同体だとみなされているからである。この「自然な」結合力を「基礎」にしてこそ「国家と社会」はもっとも強い一体性を確保し、安定したものになる、というわけである。

 ここで、戦前の天皇制国家が「国家」を一つの「家族」に見立てていたことを思い起こす必要がある。臣民は天皇の赤子(せきし)≠ニいう言葉は、天皇を「親」、臣民=国民を「子」に見立てている。そればかりではない。一定の年齢の人なら、戦後でも70年代ごろまで多くの大企業でも「○○ファミリー」「△△一家」などと自称していたことを覚えているだろう。

 このような「擬似家族」イデオロギーを注入することで、「国家」や「社会」の一体性をでっちあげようとしたのである。旧統一教会と自民党右派、その外郭団体は、こうした時代錯誤的な「家族観」「国家観」を共有している。

 そのように「家庭」―「家族」を特に重要視する旧統一教会が、実際の布教活動では、信者の家庭を崩壊させ続けているのである。

  (筆者は元大学教員)
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