2023年04月07日 1767号
【映画『ペーパーシティ』から考える/消される東京大空襲の記憶/戦争を許さぬ「忘却との闘い」】
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1945年3月10日、米軍の爆撃機が東京下町の人口密集地に大規模空襲を行い、約10万人が犠牲となった。いわゆる東京大空襲である。だが、東京都には公的な追悼施設や被害実態を伝える資料館がない。戦争の記憶を意図的に消そうとしているのである。それは何を意味するのか。
公的な施設がない
映画『ペーパーシティ/東京大空襲の記憶』が2月末から公開されている。戦後70年=2015年の東京を舞台に、惨劇の記憶の継承や被害者に対する国家補償の実現を求めて活動する人びとの姿を描いたドキュメンタリー作品だ。
映画は「権力に対する人間の闘いとは、忘却に対する記憶の闘争である」というチェコの作家の言葉から始まる。自分たちが語り継がねば風化してしまう―。本作に登場する3人の生存者の活動はまさに忘却に対する闘いであった。
エイドリアン・フランシス監督はオーストラリア出身の映像作家で、東京を活動の拠点にして約18年になる。ある記録映画を観て東京大空襲のことを知り、一晩で10万人以上が犠牲になったことに衝撃を受けた。と同時に、「歴史上もっとも破壊的な空襲」であるにもかかわらず、基本的な事実すら知らない都民が多いことに驚いたという。
「ドイツを旅した時には、ホロコースト記念碑を訪れ、過去を知ろうとする若者たちに出会い、広島では平和記念資料館を訪れ、原爆によって街がどのように変わっていったのか知ることができました。しかし東京にはそのような場がありません。私はこの違いが生まれた理由を知りたい、そう思いました」
今も放置された遺骨
フランシス監督が語るように、東京には空襲被害に関する公的な追悼施設や資料館の類が存在しない。毎年3月10日に、追悼式が行われる慰霊堂はある。墨田区の東京都慰霊堂だ。だが、ここは空襲被害者のための施設ではない。もともとの名称は震災記念堂と言い、関東大震災の身元不明の遺骨を納めるために創建された(1930年)。
空襲被害者の遺骨がこの場所に行き着いた経緯は、死者の尊厳を踏みにじるものだった。空襲で亡くなった人はあまりに多く、都の火葬・埋葬能力をはるかに超えていた。膨大な数の遺体は野焼きされるか、公園や空地、寺や学校などに急いで埋められた。
戦後、国と都はこの「仮埋葬地」から遺体を掘り起こしたが、身元不明のため大部分は引き取り手がなかった。そこで震災記念堂の裏部に安置したのである(戦災者の慰霊堂建設をGHQは認めなかった)。
そもそも行政は「仮埋葬地」の場所をすべて把握しているわけではない。モノ同然に片付けられた被害者の遺体が、誰にも気づかれず埋まったままになっている。そんな場所が首都・東京の至るところに存在しているということだ。
祈念館凍結はなぜ
東京都は1998年、空襲被害の実態を後世に伝える施設「東京都平和祈念館(仮称)」の建設予算案を都議会に提出した。しかし、日本の加害の歴史などの展示内容や歴史認識をめぐって議会が紛糾し、計画は凍結された。祈念館での展示を前提に都民が寄贈した資料や空襲体験者330人分の証言ビデオは、都内の倉庫に保管されたままになっている。
都知事の私的諮問機関である建設委員会がまとめた展示計画は「アジアの人々に犠牲を強いた事件や中国への都市爆撃から東京空襲に至る流れを紹介する」というものだった(中国の臨時首都・重慶に対し日本軍が1938年から始めた爆撃作戦が、一般市民の無差別殺害を意図した戦略爆撃の発端と言われている)。
これに反発した右派議員は建設反対運動を展開し、計画を事実上の頓挫に追い込んだ。「反日自虐史観を許さない」との言い分だが、要は、戦争に勝つためなら民間人の大量殺戮も厭わないという戦争国家の論理を明らかにされることを嫌ったのだろう。
大阪では維新が
大阪でも同様の動きがあった。大阪国際平和センター(ピースおおさか)の展示から、日本のアジア侵略に関する資料が撤去されたのである。維新府政・市政が強行した。
アジア最大の兵器工場だった「大阪砲兵工廠」の跡地である大阪城公園の一角に、ピースおおさかが開館したのは1991年のこと。以来、「戦場となった中国をはじめアジア・太平洋地域の人々、また植民地下の朝鮮・台湾の人々にも多大な危害を与えたことを私たちは忘れません」との設置理念のもと、日本の被害と加害の歴史をトータルに伝えてきた。
しかし、橋下徹府知事の時代に展示内容が問題視され、補助金を削られた。そして、「大阪空襲に特化する」ことを名目に全面リニューアル案が発表された。2015年に再オープンした時には加害展示の大部分が撤去されていた。
現在の展示コーナー「戦時下の大阪のくらし」には、「栄養事情が急速に悪くなる中『立派な少国民』として戦争に協力し、空襲にも精一杯対応した子どもたちの姿を知ろう」という案内文が掲げられている。軍国主義教育の反省もなければ、侵略戦争という誤った国策によって多くの民間人が犠牲になったとの認識もない。民衆の視点を欠いた維新の歴史観がよくわかる。
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『ペーパーシティ』のフランシス監督は、本作について「未来に向けた映画でもある」と述べている(3/5東京新聞)。戦争を始めた国が多くの民間人を戦災死に追いやり、戦後も救済せずに放置した歴史を忘れ、他国を先制攻撃することも可能な大軍拡の道に踏み出すのか。私たちは歴史の岐路に立っている。 (M)
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