2023年04月21日 1769号
【未来への責任(372)韓国人遺族と戦没地に(下) 日本政府はDNA鑑定を】
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2012年9月、コ・イニョンさんとともにニューギニアへお連れしたのが、ナン・ヨンジュさんだ。 ナンさんのお兄さんは日本軍に動員され、ニューギニアのヤカムルで戦死した。父も母も祖父母も、みんな兄の死亡通知すらないまま、もがき苦しみ亡くなられた。特に母は火病(ファッピョン 精神的な病いの韓国での呼び名)になり亡くなった。父は親族から「長男を日本軍に動員されるのを止められなかった」と責められたそうだ。
ヤカルムは、コ・イニョンさんのお父さんが亡くなられたボイキン村よりさらに西部へ車で2時間はかかる。当日はボイキンとヤカムルと2か所で祭祀(チェサ)をする予定でヤカムルに向かった。
道は前夜のスコールの影響で川のようになっている。確かに4輪駆動でなければ走れない。さらに、いつもは10メートルほどの川幅が100メートルの大河になっていて渡れない。引率の大平洋戦史館の岩渕さんに相談する。「ここまで来て、あきらめられない。海から行きますか?」。さっそく小ボート2台を調達し、翌早朝から4時間近くかけてヤカムルに出発した。先頭の1台は漁師が海の進む道を決める。サンゴにぶつかれば大変だからだ。
現場に着くと、ナンさんも祭祀の場所を決める。浜辺から離れ、兄が戦死したであろうジャングルに向かって祭祀は始まった。「オッパ!(お兄さん)、ヨンジュが来ました。お母さんが心配して火病で亡くなってしまった。おじいさんも、おばあさんもお父さんも…」
お兄さんが連れていかれて以来、家族が兄のことを心配し亡くなっていった状況を語りながら、何度もジャングルに向かって慟哭(どうこく)する。まさしく祭祀を行なっているこの浜辺や海は、兄がジャングルから見ていた景色だろう。
ヤカムルの砂浜から帰ろうとするボートに黄色い蝶々が飛んできた。お兄さんがお礼を言いに来たのだろう。
このニューギニアでの祭祀の数か月後、コ・イニョンさんは他界。韓国のご遺族たちは「ニューギニアでお父さんに会ったら、お父さんが連れて行ってしまった」と言う。ナム・ヨンジュさんも2019年に他界された。
日本軍に「志願した」と平気で歴史を歪曲する小学校教科書。ウソは許さない。
5月25日、遺骨収集ボランティア、ガマフヤーと外務省・厚生労働省・防衛省との意見交換会がもたれる。コ・イニョンさん、ナン・ヨンジュさんに思いを馳せ、韓国人遺族のDNA鑑定を未だ認めない日本政府に遺骨返還の闘いを挑んでいく。
(戦没者遺骨を家族のもとへ連絡会 上田慶司)
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