2023年04月21日 1769号
【「氷河期世代は心も氷河期」/山上ツイートはなぜ刺さるのか/見捨てられ世代の絶望と孤独】
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「残念ながら氷河期世代は心も氷河期」「向こう20〜30年は明るい話が出て来そうにない」。安倍晋三元首相銃撃事件で、殺人罪などで起訴された山上徹也被告のものとみられるツイートである。彼の言葉はなぜ、就職氷河期=ロスジェネ世代に刺さるのか。
現代日本の肖像
『山上徹也と日本の「失われた30年」』(集英社インターナショナル)と題する書籍が3月に出版された。山上被告のものとみられるアカウント名で発信された1364件のツイートを分析し、事件の背景にある問題を浮かび上がらせようとした一冊である。
著者でドイツ文学翻訳者の池田香代子さん(1948年生)はこう述べている。「わたしはこの事件を悪辣なカルト宗教集団とそれと癒着した定見のない政治家の問題と認識していた。確かにそれもあるが、山上徹也被告の軌跡は、ロストジェネレーションと呼ばれる世代が共有する社会的バックグラウンドの上に描かれてきたのだと、五野井さんに気付かされた」
「五野井さん」とは、共著者である政治学者の五野井郁夫教授のこと。1980年生まれの山上被告と同世代(1979年生)で、「宗教2世」という共通点を持つ。事件を他人事とは思えないと語る彼は、山上ツイートの分析結果を次のように解説している。
「ツイートを通じて浮き彫りになったのは、『失われた30年』がこの国にもたらした宿痾(しゅくあ)です。被告でなくても、誰かが暴発する可能性はあった。被告の場合は旧統一教会が引き金になりましたが、そうではない動機で凶行に走るパーソナリティーがあちらこちらに潜在し、ちょっと針でつついただけで破裂しそうな何かがこの社会にはあるのではないか。現代日本の世代論に思い至りました」(4/3日刊ゲンダイ)
ジョーカーに共感
山上被告は米映画『ジョーカー』の主人公に自らの境遇を重ね合わせ、深く共感している。ちなみに彼は名古屋でこの映画を観ている。旧統一教会の韓鶴子総裁が名古屋で講演を行う前日のことだった(火炎瓶で襲撃するつもりだったが、会場に入れず断念)。
後の大悪党ジョーカーは、売れない道化師アーサーだった。認知症気味の母親を介護し、自身も精神的な病に苦しんでいた。派遣の仕事で生活の糧を得ていたが、トラブルの責任を負わされ解雇。さらに市の福祉予算削減政策により、適切な医療を受けられなくなる。追い詰められたアーサーは次第に常軌を逸した行動を取っていく―。
この映画を「非モテ男の自暴自棄」とみた感想に山上被告は激しく反発している。主人公は社会全体を憎んでいるのであり、女性にもてないことをことさら強調する見方はアーサーを狂気に追いやった社会のエゴそのものだというのだ。
つまり、山上被告は社会的な矛盾を個人の問題に帰してしまう世間一般の風潮に憤っていた。新自由主義の支配イデオロギーである「自己責任」論の欺瞞性に気付いてはいたのである。
事実、様々な資格を取得しながら非正規職を転々とせざるを得なかった山上被告は、自分をそうした状況に追いやった社会構造に憤っている。「何故かこの社会は最も愛される必要のある脱落者は最も愛されないようにできている」「最後まで生き残るのは搾取上手と恥知らず」「継続反復して若者の無知や未熟に付け込んで利用して喜んでるような奴は死ねばいいし死なねばならない」
「安倍評価」に変化
警察の調べによると、山上被告は遅くとも2021年3月には銃や銃弾の製造に着手している。この頃にはコロナ禍で韓総裁の来日はないと判断していた。そして安倍政権や菅政権に批判的なツイートが増え始める。「それなりに自民党支持」だった姿勢に変化がみられるのだ。
「右に利用価値があるというだけで岸が招き入れたのが統一教会。岸を信奉し新冷戦の枠組みを作った(言い過ぎか)安倍が無法のDNAを受け継いでいても驚きはしない」
こんなツイートもしている。「2世の苦しみか。実に下らない。親を殺してニュースなる2世が現れて統一教会の名が出れば許してやろうかとも思うが」。統一教会に致命傷を与える方法は、その実態を白日の下にさらすことだとの認識がみられる。その役割を彼は自分に課したのである。かくして、教祖一族に向けられていた矛先は「無法のDNA」を引き継ぐ安倍元首相に変更された。
「恵まれた者、勝ち残った者、それがエゴに染まった時、己が義務を忘れた時、その富と名誉は必ず失われることになっているんだよ」。自作銃の製造が最終段階に来ていた2022年1月のツイートである。安倍元首相の殺害について、個人的な動機を超えた意味合いを山上被告は自分に言い聞かせようとしていたのではないだろうか。
展望を示すしかない
もちろん、暴力に社会的意義をもたせようとするのは誤りである。山上被告がしたことは許されるものではなく、彼を「義士」と持ち上げる風潮に与することはできない。そもそも、一人の政治家を殺害したところで、この社会の抑圧構造は変わらない。
山上被告はやはり自己責任論の呪縛から抜けきれなかったのだと思う。統一教会の被害者どうしが連帯し、政治や社会を動かす道を選ばなかった。誰にも頼らないことが「プライド」になってしまっていた。
「残念ながら氷河期世代は心も氷河期」。何と悲しい、自虐と絶望の叫びだろうか。そのような思いを抱えている人は大勢いる。だからこそ、社会変革を目指す運動の側が言い続けねばならない。人間の尊厳を奪ったり、搾取するような社会は間違っているし、自分たちの手で変えることが出来るのだと。 (M)
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