2023年05月12・19日 1772号

【岸田首相「襲撃」めぐる論調/「動機や背景を探るな」はなぜ/政治の責任隠蔽する自己責任論】

 岸田文雄首相が選挙演説中に爆発物を投げつけられる事件が発生して約1か月が過ぎた。一部政治家や右派メディアは「安倍元首相の銃撃犯をヒーロー扱いした報道が模倣犯を生んだ」と主張。「だから犯行の動機や事件の背景を探るべきではない」と連呼している。政治の責任を覆い隠す自己責任論だ。

「無価値」と切り捨て

 メディアのせいで模倣犯が出てしまった―。こうした主張の口火を切ったのは、社会学者の古市憲寿と維新元代表の橋下徹である。2人は4月17日放送の『めざまし8』(フジテレビ)でこう語った。

 「安倍元首相の暗殺事件があって、一部で容疑者のほうをヒーロー視するような報道があって、それがこういう第2の事件につながってしまったのではという懸念があります」(古市)

 「旧統一教会に問題があれば対処していくことは当然なんですけど、山上被告の行動によって国が動いたっていう現実をつくってしまったことは大きな問題だと思います」(橋下)

 安倍元首相銃撃事件をきっかけに、統一教会の反社会的行為が大きく報道され、被害者救済法の成立につながった。これを古市や橋下はテロ行為に正当性を与えたと非難するのである。

 政治家では細野豪志衆院議員(自民党)が真っ先に反応した。「私はテロを起こした時点でその人間の主張や背景を一顧だにしない。そこから導き出される社会的アプローチなどない」とツイート。その後も「テロを起こした時点でその者の主張は無価値だということにしないと、それを見てくり返す人がいるのではないか」と訴えた。

 現職の閣僚では武井俊輔外務副大臣が自身のツイッターで、犯罪原因の探求は正当化と同じだと主張。原因は「100%加害者」にあり、「それをいささかでも揺るがすことは正当化を誘発する」と言い切った。

「政治のせいにするな」

 右派メディアはどうか。夕刊フジはお抱えの学者や評論家を動員し、「テロリストの言い分を聞くな」とのキャンペーンを連日くり広げている。

 「糾弾されるべきは、政治ではない。テロリストだ」「政治に原因がある。テロリストの言い分にも、耳を傾けるべきだ―。こうしたマスメディアの論調が、次なるテロを誘発する」(政治学者の岩田温)

 「安倍氏の事件では、『不遇な境遇がテロに走らせた原因』といわんばかりの論評が行われたが、世の中には、もっと困難な環境でも、懸命に生きている人たちが多数いる。テロリストに同情の余地はない」(政治評論家の伊藤達美)

 読売新聞は、爆発物投げつけを許した警察の失態まで「同情論」のせいにした。いわく「安倍晋三元首相が銃撃された事件では、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)問題と絡め、被告に同情するような論調も一部に出て、警護の強化などの議論が十分に深められなかった」(4/18社説)

 山上徹也被告に関する言説と要人警護のあり方に何の関係があるというのか。支離滅裂な八つ当たりというほかない。

社会の病理が土壌

 テロ事件の動機や背景を詳しく探ると、実行犯に対する同情や共感を集めてしまい、さらなるテロを誘発する。だからテロリストの言い分を一顧だにしてはならない―。一連の主張をまとめるとこうなる。

 しかし、犯罪を契機にその背景にあるものを社会として認識し、見つかった課題の改善に踏み出すのは当然のことである。社会の病理に誰よりも敏感でなければならない政治家が「テロを起こした者の主張は無価値」と決めつけるなんて、ありえない。

 「加害者が全部悪い。政治や社会のせいにするな」に至っては、この国を支配する呪いの言葉=自己責任論そのものである。「もっと辛い状況でも頑張っている人はいる」にしても励ましの意味ではない。「運命だと悟り、あきらめろ」ということだ。

 そもそもテロ事件の背景を探った結果、世間が実行犯に共感を寄せたということは、そのような状況をもたらした政治に問題があることを意味している。安倍元首相銃撃事件で言えば、自分の選挙や改憲運動の手駒に使うためにカルト教団を庇護し、その反社会的行為を助長してきた自民党政治が問題なのである。

 「テロの背景を分析するな」という主張は「臭いものに蓋をしろ。ばれるじゃないか」と言うことでしかない。それではテロの土壌となる政治や社会の腐敗が進む一方である。

正論による思考停止

 「暴力を用いて世の中を変えようとするのは民主主義に反する。テロリズムは許さないという姿勢を強調すべきだ」という意見はもちろん正しい。戦争をはじめとするいかなる暴力、特に言論封殺の暴力には断固反対する。

 しかし、誰も否定できない「テロから民主主義を守れ」論を自民党や右派メディアがことさら主張するのはうさん臭い。日本国憲法の平和主義を嘲笑し、自由や権利を抑圧してきた連中が守れという「民主主義」とは何なのか。それは結局、民主主義の皮をかぶった民意排除の支配システムのことではないのか。

 岸田首相に爆発物を投げつけた容疑者は、被選挙権年齢や供託金制度を批判し、「日本で行われているのは制限選挙であり、普通選挙は行われていません。国民が立候補できなければ政治腐敗が横行するのは当たり前です」と主張していた。

 これが容疑者の動機かどうかは分からないし、爆発物を投げつけた行為は厳しく断罪されるべきだ。だが、この国の政治が弱者の訴えを無視し見捨ててきたのは事実である。このことに目をつぶり、考えることすら抑圧するようでは、絶望と怒りのはての暴発を防ぐことはできない。 (M)



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