2023年07月21日 1781号

【哲学世間話(37)/田端信広/LGBT法案と山東昭子の言葉遊び】

 6月16日、いわゆる「LGBT法案」の参議院本会議での採決時に、3名の自民党議員が議場を退席し、採決に加わるのを拒否した。その一人は、山東昭子前参議院議長である。

 彼女はその直後に、囲みの記者団にこう言い放った。性的マイノリティの人々に関して「差別という意識はないが、区別はしていただきたい」。彼女は、どうやら「区別」と「差別」を切り分けて、自分は「区別」するが「差別する気はない」とでも言いたいようであるが、これは悪質な「言葉遊び」である。

 というのも、「区別」の名のもとに「差別」が横行しているのが現実だからである。つまり「区別」が「差別」に直結している。山東の言う「区別」が「差別」を生み出し、その「差別」を容認し、正当化しているのである。その具体的事例は山とある。

 たとえば、性的マイノリティの人々は、住宅を賃貸しようとするとき、それを理由に拒否されることがある。就職試験で、それを理由に落とされることもある。企業によっては、パートナーに「配偶者手当」を支給せず、パートナーの子どもに「家族手当」を支給しない場合も多い。
 これらは、明白な社会的差別であり、基本的な人権の侵害である。そのような権利の侵害を引きおこしている奥深い誘因が、「区別すること」に潜んでいるのである。

 個々人によって多様である性自認や性指向を理由に、人間の権利に制限を加えたり、差別することは許されない。まずこれが根本なのである。

 今回のLGBT法案は理念的な「理解増進」法にすぎず、現にある差別を全く無視している。それゆえ、当事者たちから「ないほうがまし」とまで批判されている。必要とされているのは、現にある差別の禁止を含む「差別解消法案」である。性自認や性指向を理由にした権利侵害や差別を法律で禁止し、違反行為には処罰を課すことこそ求められているのである。

 問題の「理解を増進」するには、「理念」や「能書き」を並べ立てる前に、現実の社会に厳格なルールを適用し、現実をそのように変えるほうが有効である。それでこそ頭の中の「理解」は正しい方向に「増進」されるだろう。

 この場合も「観念論」よりも「唯物論」が正しい処方箋なのである。

  (筆者は元大学教員)
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