2023年08月18日 1785号

【DSAが初めて見た基地の島 沖縄(中)/市民同士のつながりが基地のない平和な世界を創る/ダルボンさん、辺野古に立つ】

 ZHAP(ZENKO辺野古反基地プロジェクト)にともに取り組むDSA(アメリカ民主主義的社会主義者)ジェラルド・ダルボンさんが、7月26〜27日、沖縄の米軍基地を見た。“生きることは闘うこと”―基地被害と闘う沖縄県民の覚悟に触れたダルボンさんは、辺野古ゲート前で何を語ったか。(M)

普天間移設の原点に迫る

 7月26日、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表高里鈴代さんに会った。沖縄・平和市民連絡会の上間芳子さんも一緒だ。二人は辺野古ゲート前の座り込み行動から那覇に戻ったところだった。

 高里さんは1995年、米兵による少女暴行事件直後に「女たちの会」を立ち上げた。当時、米兵の性犯罪を示す資料がなかった。自分たちの手で「沖縄・米兵による女性への性犯罪」冊子を作成。本年7月に13版を発行。45年の沖縄戦から2021年の間に、沖縄の女性約950人が受けた暴力の数々が綴られている。

 英訳された12版の冊子がダルボンさんに贈られた。軍事基地の周辺で生起する性犯罪。基地被害の重要なテーマだ。ダルボンさんは迷わず、「DSAのオンラインパネルで報告を」と高里さんに打診した。

基地の傍らで生きる沖縄

 「世界一危険な基地」と米政府も認める普天間基地。高里さんと会う前に、嘉数(かかず)高台を訪れていた。「普天間米軍基地から爆音をなくす訴訟団」事務局長の玉元一恵さんから爆音訴訟の現状を聞いた。訴訟は第三次にいたり、原告が5875人に達するという。

 爆音の他にも重大な基地被害がある。有害物質PFAS(ピーファス)(有機フッ素化合物)だ。汚染は広範囲に広がっている。玉元さんは、汚染された地区を高台から指さした。

 27日には、嘉手納(かでな)基地を見た。2003年に建設された道の駅「かでな」。4階の展望所で嘉手納町議の福地義広さんが、原告が3万5566人(第四次訴訟)に達した嘉手納爆音訴訟の現状を報告してくれた。

 その話の合間にも、F15戦闘機が引っ切り無しに離発着訓練を行う。聴覚機能に異常をきたす騒音値である100db(デシベル)近くを計測。住民が訴える「爆音」を身体で感じた。

 住民の多くが慢性的な睡眠障害を起こしている。福地さんの母親もその一人だ。町の平野部が基地に占領されたため、住宅地はその周辺に密集せざるを得なかった状況がよくわかる。

 普天間、嘉手納が引き起こす基地被害。ダルボンさんは、米軍の傍若無人な振る舞いと、それを見て見ぬふりする日本政府に怒りを隠そうとしなかった。


DSA、辺野古へ

 27日の朝、辺野古新基地建設反対の座り込み行動の現場へ。この日、抗議行動は3308日目を迎えた。

 奥間政則さん(沖縄ドローンプロジェクト)がDSAを紹介し、ダルボンさんが連帯のあいさつをおくる。

 「沖縄のみなさんの意思に反して、米国がこれほど大きな基地を維持し、人びとに過重な負担をかけていることは、全く不正義なことだと思っています。普天間などの基地を見ました。米軍基地の存在そのものが、地域の安全とか平和とは全く逆の存在です。真の安全保障は、米軍基地をなくすこと。それによって本当の平和が得られるのです」

 ダルボンさんは一気に話した。基地被害を見聞きした昨日からの交流が勢いを与えていると思った。

 「みなさんの長年にわたる闘いに、私たちは常に力と勇気を得ています。米軍基地撤去の闘いを、沖縄と連帯し米国内でも続けていくことをお約束します」

 アメリカ連邦議会にも問題提起したDSAからの連帯の言葉に、座り込み参加者から惜しみない拍手が送られた。

 「ミサイル配備から命を守るうるま市民の会」共同代表の照屋寛之さんがあいさつを返す。「われわれの辺野古での運動がアメリカに届いて、広がりを見せているのかと思うと、これまでの闘いが、報われた思いです」。時々、感極まったように天を仰いだ。生きることは闘うこと―沖縄県民が置かれている状況をダルボンさんも実感したに違いない。

  (続く)



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