2023年08月18日 1785号

【コラム見・聞・感/反原発の女優、少年時代から変わらぬ憧れ】

 7月28日午後、参院議員会館で開催された原発被害者訴訟原告団全国連絡会の集会に参加した。内容は前号1784号6面をご覧いただきたいが、この集会で意外(?)な人物が発言した。女優の斉藤とも子である。

 「25年ほど前、原爆投下後の広島を舞台とした『父と暮せば』(原作・井上ひさし)で被爆者の娘を演じたことがきっかけで被爆者の話を聞き、この問題に関心を持つようになった」(本人談)。調べてみると初演は2001年で本人の記憶と一致する。

 福島原発事故のニュースを聞いたときは、「また新たなヒバクシャが生まれてしまうのか」との思いで「ヒバクシャを生み出すものには反対。難しいことはわからない私のような人間が見ても、明らかにおかしいと思うことが進行している」。岸田政権による軍拡・原発回帰に対し、長年、ヒバクシャと接してきた信念できっぱり批判する姿が印象的だった。

 私はその名を思い出せないものの、どこかで見たような漠然とした記憶もあった。

 検索してみると、1981年から1年間、テレビ朝日系列で放送された児童向けテレビドラマ『それゆけ!レッドビッキーズ』で、勝利を知らない弱小草野球チームを率いる監督・星野ゆかりを演じた人物とわかった。ボールの握り方も知らない人物を草野球チームの監督に据えるという無謀すぎる設定だったが、あの時代を懐かしく思い出す。

 『それゆけ!レッドビッキーズ』は、この時代によくあったスポーツ根性もので、当時10歳だった私は結局、1年間の全話を見た。技術指導など望むべくもない素人監督の下で「走って、打って、転がって」(主題歌の一節)もまったく強くならないレッドビッキーズで、ひたむきにプレーする同年代の少年少女、そして彼ら彼女らと根気強く向き合う星野ゆかりの姿に打たれ、いつしか野球ファンになっていた。放送から40年以上経つ今も『レッドビッキーズ』の主題歌は完璧に歌えるし、年に何度かは球場にも足を運ぶ。

 今から思えば身のほど知らずの「甲子園出場」の夢は散ったが、私の人生に影響を与えた人が揺るがぬ決意で反原発をめざすなら、私もその道を最後まで一緒に歩みたい。

      (水樹平和)
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