2023年12月08日 1800号

【シネマ観客席/ゴジラ−1.0/監督・脚本 山崎貴 2023年 125分/ゴジラを使った歴史修正主義】

 今回は読者のリクエストに応え、大ヒット中の映画『ゴジラ−1.0(マイナスワン)』を取り上げる。本作は『ALWAYS 三丁目の夕日』や『永遠の0』などで知られる山崎貴監督が手掛けているのだが、その特徴は「ゴジラを使った歴史修正主義」にある。

元特攻隊員の悔恨

 アジア・太平洋戦争末期。特攻に出撃した敷島浩一は、命を捨てる理不尽な作戦に納得できず、機体の故障と偽って南の島の海軍飛行場に着陸する。その島には伝説の巨大生物ゴジラがいた。ある夜、ゴジラが部隊を襲う。敷島は零戦の機銃で撃とうとするが恐怖で引き金を引けず、多くの仲間を見殺しにしてしまう。

 ほどなく敗戦となり、敷島は実家のある東京に戻ってきた。両親は空襲で死んでいた。隣家の主婦は「この恥知らず。あんたら軍人がしっかりしていれば」と敷島をなじる。彼女も空襲で子どもを亡くしていた。敷島は「逃げた」罪悪感と「守れなかった」無力感に苛まれる。

 その後、敷島は闇市で出会った大石典子と彼女が連れていた戦災孤児の3人で共同生活を始める。戦後日本の復興とともに生活も安定してきたが、戦争のトラウマから抜け出せない敷島は典子との結婚に踏み切れないでいた。

 そんな時、米国の核実験で原爆怪獣化したゴジラが現れ、復興途上の東京を蹂躙する。日本に軍隊はもうない。米国は国際情勢への懸念から軍事行動を起こせない。そこで今は民間人となった元軍人が中心となり、ゴジラ撃退作戦に挑む。敷島も志願した。いまだ終わらぬ戦争に落とし前をつけるために―。

自発的戦いの強調

 山崎貴監督の代表作といえば、特攻隊を題材にした『永遠の0』がある。その原作者で、日本保守党なる極右政党を最近旗揚げした百田尚樹が本作を激賞している。「これ、永遠の0の世界か」「あの戦争を生き残った男たちのドラマが描かれてるんですよ」

 山崎監督自身も元特攻隊員の「生き残ってしまった」思いを意識したと述べている。「自分の中の戦争が終わらなかった人たちが後始末を付けて、戦争を終わらせる。今回のゴジラ襲撃は、もう1回、理不尽な戦争が来ちゃったみたいなもの。だから、登場人物の中に矛盾があるんです」

 矛盾とは「あの戦争をそのまま肯定することはできない」ということだろう。たしかに、元特攻隊員が日本軍の技術の粋を集めた戦闘機(戦争末期に開発された実在の戦闘機「震電」)に乗り込み、刺し違える覚悟でゴジラと戦うなんて話を無条件で美化したら、観客はむき出しの軍国主義にドン引きしてしまう。

 そこで本作では、政府や軍部を批判するセリフを登場人物にくり返し語らせている。人命をあまりにも軽んじていたこと、合理性に欠けた精神主義に陥っていたこと、情報を隠し国民を欺く体質が戦後も変わっていないこと等々。

 これらはゴジラとの戦いが「国家に強要された理不尽な戦い」ではないことを強調するための前ふりである。ようやく訪れた平和、愛する者を守るために、自らの意思で戦うというわけだ。吉岡秀隆演じる元海軍技術士官が象徴的な言葉を口にする。「死ぬための戦いではないんです。今度の戦いは未来を生きるための戦いなんです」

国防思想啓蒙映画

 かくして本作は、知恵と勇気を駆使して雪辱戦に挑む男たちの奮闘を山崎監督特有の「泣かせ」の演出で盛り上げていく。ラストのセリフは典子の「あなたの戦争は終わりましたか」。はっきり言って、あざとい。あざとすぎる。だが、今の観客は「泣ける話」が大好物なようだ。

 神木隆之介(敷島)や浜辺美波(典子)など、NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)でおなじみの俳優を多数起用したキャスティングも、観客が感情移入しやすい一因となっている。

 まとめよう。『ゴジラ−1.0』は歴史修正主義の映画である。その役割は、日本人の深層心理にこびりついた戦争に対する負の印象を払拭し、新たに「命と暮らしを守る崇高な戦い」として刷り込むことにある。要するに、政府が「台湾有事」を煽る時代の国防思想啓蒙映画なのだ。

 したがって本作は「感動ドラマ」への没入を妨げる日本の加害責任には一切言及しない。敷島が罪悪感を感じる対象は、あくまでも家族や同僚たちであり、アジアの民衆ではない。やり直しの戦争に勝って戦争を「終わらせる」とは、あまりに身勝手な話だ。そこに内向きの歴史認識に閉じこもる戦後日本の姿を見てとることができる。

シンゴジとの共通点

 さて、『ゴジラ−1.0』は庵野秀明総監督の『シン・ゴジラ』(2016年)との比較で語られることが多い。登場人物の設定や演出方法が対照的だと言うのだ。しかし両作品には歴史修正主義というベースの部分での共通点がある。

 『シン・ゴジラ』が上書きしようとしたのは3・11原発事故の記憶だった。自衛隊をはじめとした官民一体の総力戦でゴジラが象徴する「暴走する原子炉」を冷温停止させたというように。現代におけるゴジラ映画の役割が記憶の改変とは嘆かわしい。「ゴジラを歴史修正主義の道具に使うな」と言いたい。

  *  *  *

 マニアの間では「戦争に駆り出され海の藻屑と消えた日本兵の怨霊がゴジラになった」という解釈がある。日本を襲うのは、戦争を忘れた為政者や社会に対する怒りからだというのである。この説に従うなら、今日のゴジラは首相官邸や靖国神社、米軍基地や自衛隊基地を真っ先に破壊するはずだ。そんな映画が実現するとは思えないが…。  (O)



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