2023年12月15日 1801号

【未来への責任(388) 太平洋戦争被害者推進協と共に】

 2023年10月12日、韓国の植民地歴史博物館にて「推進協と共に22年 私たちが歴史だ!」と題して、太平洋戦争被害者補償推協議会の創立22周年記念式が開催された。本当に久しぶりに苦労して闘ってきた日韓のみんなが一堂に再会した。

 私たちが強制動員調査で記録を見つけたお二人の報告が心に残った。

 推進協運営委員長のチェ・ナックンさん。「今日は緊張したのでうまくしゃべれなかった」と言われたように、短いあいさつだった。用意したという文書を見せてもらった。大阪でグングン裁判(在韓軍人軍属裁判)を支援する会の努力で貝島炭鉱(福岡県)での記録が見つかったことに続き、炭鉱の坑口のあった場所で父の名を大きな声で呼ぶと母の姿が目の前に浮かんだ、と書かれていた。私も初めて聞いた話だ。いざこれ読もうとすると、涙でしゃべれなかったんだ。そして貝島炭鉱以降の父の記録を探して遺骨を見つけたいとも書かれていた。チェ・ナックンさんの思いを受けとめました。遺骨調査をはじめます。

 本当に驚いたのは、かつての調査で、下関港で現在のマルハニチロで働いていた記録が見つかったカン・ジョンホさんの娘さんと息子さんと子どもさんたちが来られて、娘さんが発言されたこと。カン・ジョンホさんは記録が見つかった後、数年で他界されている。娘さんは、お父さんによってアメリカで教育を受けることができ、大きな会社に就職したそうだ。「父が耐えてきた人生の苦しみを察しながらも顔を背けてきた時間が恥ずかしい。世界で一番愛する娘である私が、父の痛々しい過去から顔を背けていた。私たち家族の影響力で良い社会をつくることができるように努力したい」と話された。

 私やグングンの仲間はさっそく一緒に写真を撮った。当時カン・ジョンホさんは「娘がアメリカで勉強していて帰ってきたんだ」と自慢げに紹介してくれたことを思い出した。あの娘さんがこんなに成長したんだと、私にとってはウキウキするうれしい記念式になった。

 そして3日目、バスで江華島(カンファド)にある推進協共同代表イ・ヒジャさんのお父さんの立派な追念碑を訪問した。バスの中での交流で、チョン・ユニョンさんから九州に労務者として動員された夫の父の記録を探してほしい、との訴えがあった。実は何度も調査したが見つからなかった。イ・ヒジャさんからもよろしくと頼まれる。さっそくチョン・ユニョン特別調査チームをつくった。福岡のゆうちょ銀行にある強制労働の証拠であり遺品の数万冊の通帳の返還の取り組みとセットで取り組む。

 これからも太平洋戦争被害者推進協議会と共に!

(戦没者遺骨を家族のもとへ連絡会 上田慶司)

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