2023年12月29日 1803号

【「ノーモア沖縄戦の会」新垣邦雄さんが語る沖縄戦・若者・未来(下)/「声を上げることで先輩に近づいたか」/ 11・23沖縄県民平和大集会(4)】

 前号に続き、新垣邦雄さん(ノーモア沖縄戦 命(ぬち)どぅ宝の会・事務局長、66歳)に聞いた。(まとめは編集部)



 私は、琉球新報の東京支社勤務から沖縄に戻って60歳で定年退職。2年間、関連会社に勤務し、62歳の4月に退職しました。

 社説も書いていたので、2000年頃以降の防衛大綱見直しや自衛隊「南西シフト」の大まかな動きは知っていました。19年、「東アジア共同体研究所」琉球・沖縄センターの事務局員になります。そこにあった小西誠さん(軍事ジャーナリスト)の南西シフトの本を読み、愕然(がくぜん)としました。

 急ピッチで凄まじく部隊が配備されていく実態を見て、もう遠い話じゃなくて本当に我々に迫ってくるんだと。東アジア共同体研究所では南西シフトを中心に活動することになりました。

南西シフトと対峙

 20年4月、東アジア共同体研究所事務局長となり、同年末には那覇で「ミサイル要塞化の危機」シンポジウムを開催。山城博治さん(「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」事務局長)と出会います。21年12月のシンポジウムで県民組織の立ち上げが宣言され、22年1月に「ノーモア沖縄戦の会」を立ち上げました。

 その流れの中に、遺骨収集ボランティアの具志堅隆松(ぐしけんたかまつ)さん(「県民の会」共同代表)が加わりました。

 山城博治さんの行動力、大衆運動の力と具志堅隆松さんの精神性が「ノーモア沖縄戦の会」の大きな支柱になっていると思います。私はその後、「ノーモア沖縄戦の会」の運営委員になり、現在は事務局長です。

 今年11月6日には、▽沖縄戦の遺骨も拾い終わらないのに、次の沖縄戦の準備が始まっている▽台湾有事になれば沖縄だけでなく、中国の人も犠牲になる。犠牲者にならないだけでなく加害者にならない▽パレスチナ・ガザの惨状に黙っているわけにはいかない―と声明を発表しました。

記者上がりの平和運動

 こうして私は60歳代から反戦運動に入りました。

 記者時代は傍観者、評論家≠ナした。「当事者になることは避ける」が新聞記者のルールだからです。「新垣さんのように記者上がりで活動を実践する人は少ない」と同業の後輩から言われます。

 沖縄に住んでいて、戦争が起きそうになっていたら、これはもう今自ら行動するしかないと思いますね。

 街頭に立ち、マイクを握り、基地前に座り込むようになり、マスクをとって顔をさらす。そうであるべきだと感じています。その一歩一歩が初体験で、勇気も必要でしたが、やってみると、なんてことはない。踏み出す一歩が大事だと思います。

自分らしい生き方

 最近、うるま市のホワイトビーチ(米海軍の港湾施設)で現場行動している時、QAB(琉球朝日放送)からマイクを向けられたんです。そんなこと半年前まではなかったけれど、マイクで思いの丈(たけ)を米軍に言って、それが非常に正当である、正義はこっちにあると。普段、うっ屈している思いを、思いっきり吐き出せるじゃないですか。

 自分が感じていることを素直に発言して、阻止行動にも参加する。これって何かモヤモヤしているよりも、自分らしい生き方をしているという感じなんです。

 「ノーモア沖縄戦の会」のあるシンポジウムで、「まず知ること、声を上げること。で、行動すること」というテーマを掲げました。私たちが、シンポジウムをやってみんなに広く知らせる。そして事実を知ったら声を上げる。そして行動する。こういうのがつながっていかないと、みんなが団結して一つの大きな動きにはならないじゃないですか。

 だからこのテーマは、やっぱり私自身にも突きつけられ、問われているものです。自分の考えをしっかり持ち、自信を持って発言し、ためらわず行動する。

 沖縄の先輩方に、少し近づいたような気がします。

       《終わり》

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