2024年03月29日 1815号

【コリアン・ジェノサイド/裕仁最初の犯罪を問う(5)/前田朗(朝鮮大学校講師)】

 昨年出版された姜徳相・山本すみ子編『神奈川県関東大震災朝鮮人虐殺関係資料』(三一書房、2023年)は神奈川県における朝鮮人虐殺の公的資料を収録しています。姜徳相は言うまでもなく関東大震災朝鮮人虐殺研究の第一人者です。山本すみ子は「関東大震災の朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会代表」です。

 そしてもう一つ極めて重要な資料が収録されています。それは「神奈川方面警備部隊法務部日誌」です。戒厳令下、横浜において「朝鮮人犯罪」を調査するために派遣された陸軍法務官の日誌です。

 戒厳令が発布されたのが9月2日です。その翌日の9月3日、陸軍法務官鈴木忠純は関東戒厳神奈川警備隊司令部要員及び第一師団軍法会議検察官を拝命しました。鈴木はその日のうちに横浜に赴き、翌日から調査を開始し、連日、現地調査を実施しました。2カ月余りの調査において、鈴木法務官は神奈川県知事、横浜市長、東京控訴院検事、横浜地裁裁判所長、関東戒厳司令官、陸軍省法務局長、秩父宮らと緊密に面会しています。「朝鮮人犯罪」の証拠は見つからず、判明したのは朝鮮人虐殺でした。

 9月19日、鈴木法務官は「犯罪容疑者処理報告書」を陸軍法務局長、関東戒厳司令部附湯原綱事務官、山田喬三郎第一師団軍法会議検察官に提出しました。

 これを受けて9月21日、侍従武官陸軍歩兵少佐大島陸太郎がわざわざ出向いて、鈴木法務官に面会し「聖旨ノ伝達」をしました。正確に引用しておきましょう。

 「午前九時侍従武官陸軍歩兵少佐大島陸太郎来着司令部ノ隣家高嶋邸ニ於テ聖旨ノ伝達アリタリ」

 「聖旨」とは摂政裕仁の指令を意味します。本来なら天皇の指令ですが、大正天皇が病に倒れていたため、皇太子裕仁が摂政の地位にありました。摂政裕仁に情報を集約し、かつ摂政裕仁から指令が伝達されたことがわかります。

 9月22日、鈴木法務官は横浜地裁次席検事、東京控訴院検事、司令部附陸軍歩兵大尉、憲兵長らと「朝鮮人犯罪捜査二干スル件二付長時間打合ヲ為シタリ」と記録されています。

 9月24日、鈴木法務官は再び「犯罪容疑者処理報告書」を陸軍法務局長、関東戒厳司令部附湯原事務官、山田第一師団軍法会議検察官に提出しました。その後も鈴木法務官は多数の報告書を作成・提出しました。

 9月30日、鈴木法務官は「朝鮮人二対スル内地人迫害二干スル件及犯罪容疑者報告」を提出しました。

 そして10月10日には「摂政宮殿下横浜横須賀震災状況御視察ノ為来浜セラレ」、司令官から状況報告を聴取しました。摂政裕仁が横浜を訪問したのです。

 「神奈川方面警備部隊法務部日誌」はさまざまな観点から検討する必要がありますが、摂政裕仁について考えるためには、以上の資料をどのように読むかが重要になります。
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