2024年04月12日 1817号
【F-35Bの爆音に衝撃“基地への怒り”体感/軍事化阻止の闘いに決意新た/ZENKO参加団in広島 田中秋子】
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3月23日〜24日、ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)広島の案内で「第4回東アジアの平和のためのZENKO参加団in広島」企画に関西からの7人を含めのべ21人が参加。実り多い貴重なフィールドワークとなった。
23日午後から岩国基地へ。まず将校級米兵住宅地のある岩国市愛宕山(あたごやま)の「旧海軍第11航空廠(しょう)跡」に。敗戦間近の1945年、この地に蜘蛛の巣状に地下壕を張り巡らせ飛行機工場を作ったが、敗戦まで一機も製造できず終わった。建設突貫工事では5千人の朝鮮人が酷使されていた。この隠された史実は地元の平和活動家の努力で明らかになった。
岩国基地に一番近い護岸から基地を臨む。格納庫が並び戦闘機の姿も見えた。その時突然、1機のF-35B戦闘機が爆音を響かせ飛び立つ。隣の人との会話も聞き取れないほどの爆音の酷さに関西の参加者は皆驚き、日常が脅かされる基地の街の不安や怒りを体感する。
翌24日午前、岡原美知子さん(日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク事務局長)の講演「軍都廣島の歴史」で、広島が戦前は軍都、一時期は大本営としての機能もあり、11連隊はいわゆる「殴り込み部隊」としてアジア各地への侵略を実行していたなど重い加害の歴史の数々を学ぶ。
午後は、修学旅行の小学生に平和公園内の碑(いしぶみ)案内の活動をされている平原敦志さんと共に公園内の碑巡り。やさしい口調の案内でドームや「平和の灯」の知らなかった側面も知る。「原爆慰霊供養塔」の前で平原さんは「父はいつもここにお参りし、きっと弟はここに眠っているんだと泣く」と声を詰まらせる。被爆直後14万の死者が出たといわれるが、平原さんの叔父さんのように家族の元に戻れない犠牲者が数知れず存在する事実。沖縄戦にも思いを馳せる平原さんは「沖縄南部戦跡の遺骨の埋まる土砂で基地を埋め立てるなど絶対に許せない」と憤る。
最後は、戦争で焼け残った旧日銀広島支店での「山内若菜広島展」鑑賞。館内に入ると若者の見学者の多さに驚く。福島原発事故や戦争にこだわってきた画家・山内若菜さんが絵にこめた思いを解説。見学者は頷きながら聞き入る。山内さんがヒロシマとフクシマを繋ぎさらに絵画の幅と深みを増し、人びとを惹きつける表現活動をされていることを実感し希望を感じた。
企画したZENKO広島に感謝しつつ、それぞれが学んだことをいかし、自分の住む街でのガザ虐殺を止める運動や各地の基地強化を止める運動を強め拡げていく決意を新たにした。
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