2024年04月12日 1817号

【慈生会争議 中労委で和解 報告の集い開く/勝利を導いた職場活動、支えたユニオン/一人はみんなのために、みんなは一人のために】

 社会福祉法人「慈生会」を相手に延べ11年半に及ぶ争議を闘い、中央労働委員会で元職種復帰の和解をかちとった首都圏なかまユニオン組合員の島田雅彦さん。3月17日、和解を報告する集いを開いた。

 島田さんは2010年、慈生会の高齢者施設「聖家族ホーム」(東京・清瀬市)に生活相談員として就職。翌年から追い出し攻撃を受け、12年6月懲戒解雇される。裁判で闘い、東京地裁・高裁の解雇無効判決を得て14年12月に職場復帰。しかし、生活相談員から支援員への配置転換は有効とされ、ユニオンは相談員への異動を求めて団体交渉を申し入れる。法人が団交を拒否したため東京都労働委員会に救済を申し立て。中労委での11回の調査と1回の審問を経て1月26日、「4月1日までに聖家族ホームの生活相談員へ配置転換する」旨の和解調印に至る。2年半の解雇撤回争議、9年の配置転換争議―11年半の長期にわたる争議だった。

 集い会場は練馬区の「カトリック徳田(とくでん)教会」。慈生会本部のすぐ近くだ。

強い意志と粘り強い支援

 ユニオン運営委員の石川正志さんが和解を作り出したものは何かを明らかにする。「どんなに厳しくとも絶対に聖家族の相談員になるという島田組合員の強い意志。制服や靴、昼食など職場の要求を団交で取り上げてきた。過半数代表者選挙にも立候補し、80%の信任を獲得している」

 和解成立に尽力した中労委の労働者側委員、宮本礼一さんからはメッセージ。「誠実な団交の実施など正常な集団的労使関係を構築するための基本的条項も盛り込まれている。勝利の最大の要因は、島田組合員が支援員の職務に粛々と励みながら、職場の仲間と一緒に三六協定の締結をはじめ職場全体の環境改善に努力したこと、その活動を支えた首都圏なかまユニオンの粘り強い活動にある」

 萩尾健太弁護士は「優秀な島田さんを生活相談員にしないようでは聖家族ホームの運営はだめになる、人材的にもたない、となったのだろう」と法人が和解に応じた背景を分析し、「この争議に関われたことを誇りに思う」と語った。

 教会の信徒で、島田さんを応援してきた三上一雄さんが乾杯の音頭。「争議が始まり、その橋のところに立っていた島田さんに声をかけて以来の付き合い。長かったけど、勝ってよかった。おめでとう」。三上さんは200人ほどの民間労働組合支部の執行委員長を務めたことがある。「最近の連合のやり方は職場復帰より金銭解決。島田さんは『最後までやります』。そういう組合員の声を大事にするのが労働組合運動の原点。それを首都圏なかまユニオンの中に見た」

なかまを作り雇用維持へ

 有賀精一・日野市議が駆けつけ、「普通なら職場を変わることも。島田さんが頑として自分の解決を求めたことはすごい。私もユニオンの一員として、これからも頑張る」。組合員・支援者の祝福の言葉が続く。「勝利はうれしい。万歳、万歳、万歳」「石川さんとけんかしながら、よくやった」「解雇されたが、島田さんにならい10年、12年と闘い続ける」「支部長として新入組合員2人の闘いに勝ちたい。島田さんのように強い思いがあれば勝てる」「生活相談員は施設利用者にとっても信頼が一番の大切な役割。体に気をつけ、頑張って」「地域のまつりで焼きそばを焼いてくださり、お世話になった」「この勝利をケア労働者、エッセンシャルワーカーの待遇改善につなげよう」

 花束を受け取った島田さんからお礼と今後の決意。「みなさまが根気強く私に付き添ってくれたことが大きな力になった。三上さんのおかげできょう慈生会の本家本元の場所で報告会ができるなんて夢にも思わなかった。今後は職場の中に私のことを理解してくれる“なかま”を作り、雇用を維持するために取り組んでいきたい」

 石川さんが「島田さんには、慈生会に労働組合を打ち立て、今めちゃめちゃにされている社会福祉職場を徹底的に変える最先端に立ってほしい。一人はみんなのために、みんなは一人のために。この思想を実践に移そう」と力を込め、集いを締めくくった。



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