2024年06月07日 1824号

【原発賠償京都訴訟控訴審が結審/「事故は国の責任」/250人超のパレードで裁判所を包囲】

 2013年9月、福島原発事故から京都府に避難した56世帯171人が損害賠償を求める原発賠償京都訴訟は、国と東京電力の責任を明確に認めた一審判決を経て控訴審が結審。22年6月17日、国の責任を否定した最高裁判決以降、不当判決が続く中、焦点となる裁判だ。「原発賠償訴訟・京都原告団を支援する会」事務局次長・上野益徳さんに報告を寄せてもらった。

 5月22日、控訴審結審日。

 開廷に先立ち大阪高裁にアピールするため「300人風船パレード」を企画しました。どれだけ参加があるのか期待と不安が混じった気持ちでしたが、これまでの期日とは明らかに違う人また人。250人を超えたことは間違いありません。

 ピンクの風船を片手に持ち、音楽隊の演奏に合わせて『風になりたい』の替え歌と「原発事故は国の責任/勇気をもって判断を」のコールを繰り返しながら、裁判所の周りを一周しました。先頭からは最後尾が見えないくらいで、参加者から「パレードの列が長くてコールが聞こえにくかった」という感想も出ていました。

 裁判所も建物の中から見ていたはずで、これまでの倍以上のパレードには驚いたことでしょう。

傍聴券足りず追加も

 人数の威力が発揮されたのは抽選券交付の時でした。用意された抽選券は150枚ほどで、途中で配布する抽選券が無くなってしまい、職員が急きょ追加の抽選券を作りに行きました。結局配布された抽選券は204枚。この出来事は、本裁判が社会的に注目されていることを裁判所に強く印象づけたに違いありません。

原告28人が出廷

 法廷には28人の原告が入り、裁判官の真正面に2列に並びました。

 法廷では5人の原告が意見陳述しました。母子避難した原告は、家族全員そろっての団らんという当たり前の日常がないまま12年が過ぎ、自分の生まれ育った国によって存在を消されることの悲しみ、悔しさとそれに向き合い続けることの苦しみを語りました。

 夫と長女を残して避難した原告は、家族をバラバラにした自分を何度も責めたが、大人になった長女から「じいちゃんとばあちゃんを置いて行きたくなかったから残ったが、本当はママたちと一緒に避難したかった」と告げられたと明かし、国が被ばく限度量を引き上げ被害を矮小化した影響は今も続いていると指摘。

 田辺保雄弁護士は、裁判所が判断するにあたって、「避難者がこの13年間、支援も賠償も謝罪も受けることなく、過酷な日々を過ごしてきたことに留意してほしい」と結びました。

 以上の原告側の意見陳述をもって控訴審は結審し、判決申し渡しは12月18日(水)11時と決まりました。

1万枚はがき運動開始

 閉廷後、記者会見と並行し報告集会が始まりました。

 応援に駆けつけてくれた方々からは「素晴らしい陳述だった」「状況は厳しいが闘いが続く限り展望は開ける」などの声が続きます。

 20人の原告が前に並んで一人ずつ発言し、中には16歳の高校生も。ある原告は「多くの原告が顔を出してくれたことを誇りに思う」と発言しました。

 支援する会の奥森祥陽事務局長は「裁判官が判決を書くこの時期が極めて重要」として、8月まで裁判官宛ての「公正判決をかちとる1万枚はがき運動」開始を提起。はがきを毎週金曜日に投函してほしいと呼びかけました。また、6・17最高裁包囲行動に合わせて6月15日大阪市での「最高裁不当判決をただす関西共同行動」に参加を訴えました。

 これからも引き続きご支援をお願いします。



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