2024年06月14日 1825号
【シネマ観客席/関心領域 THE ZONE OF INTEREST/監督・脚本 ジョナサン・グレイザー 2023年 米国・英国・ポーランド 105分/虐殺をはびこらせる「無関心」】
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昨年のカンヌ国際映画祭でグランプリ(最高賞に次ぐ賞)に輝き、アカデミー賞でも音響賞などを受賞した映画『関心領域』が公開中だ。本作の主題は「無関心と非人間化」といえるが、それは決して過ぎ去った昔の話ではない。「今、ここでの物語」なのだ。
幸せ一家の隣では
緑したたる木々に囲まれた川縁で水遊びに興じる子どもたち。ルドルフ・ヘス一家は自然に囲まれた生活を満喫していた。プール付きの豪邸に住み、多くの使用人がいる何不自由ない暮らし。妻ヘートヴィヒの自信作である庭園にはきれいな花が咲き誇っていた。
しかし、一家の生活空間は不気味な音に包まれていた。隣の施設から人間の悲鳴や怒声、機械音や銃声らしき音が聞こえてくるのだ。夜になれば焼却炉の炎と思われる明かりが部屋の窓を明々と照らす。明らかに異様だ。それなのに、ヘートヴィヒも子どもたちも平然としている。
壁一枚向こうの施設、それはユダヤ人ら多くの人びとを虐殺したアウシュビッツ強制収容所だった。ルドルフはそこの所長なのだ。ある日、彼に異動の話が持ち上がる。栄転のはずだが、ヘートヴィヒはベルリン行きに反対する。アウシュビッツでの快適な暮らしを手放したくない、と…。
知らなかったのか
原作はイギリス人作家の同名小説。小説では主人公の所長は架空の人物だったが、映画は実在の人物であるルドルフ・ヘス(チクロンBガスによる大量殺戮の立案者)とその妻ヘートヴィヒに置き換えている。
実際のヘス一家もアウシュビッツ収容所の隣に住んでいた。彼の娘は後年、川沿いで乗馬やピクニックをしたことを「心に残る思い出」と語っている。その川が黒く染まることがあった。殺害したユダヤ人の遺灰を収容所が川に流していたからだ。このエピソードは映画にも出てくる。
原題の「The Zone of Interest(ドイツ語ではInteressengebiet)」は、強制収容所を取り囲む40平方キロメートルの地域を表すためにナチス親衛隊が用いていた言葉である。それを本作は人びとの関心が及ぶ範囲として用いている。
ここからはネタバレ有りの話になるのだが、映画を見るまでは「無関心ゆえの無知」を描いた話だと思っていた。ルドルフを除くヘス一家は、社会情勢に無関心ゆえに隣の収容所で何が起きているのか知ろうとしなかったというわけだ。
しかし、たとえ塀に遮られて見えなくても、異常な雰囲気は誰もが感じるはずだ(事実、ヘートヴィヒの母親はすぐに事情を察し同居を解消した)。それにヘス一家に集まる収容所幹部の妻たちは、ユダヤ人被収容者から没収した貴重品を自分のものにすることを楽しみにしていた。
そしてヘートヴィヒは決定的な言葉を口にする。転勤話でルドルフと揉めた際、ユダヤ人家政婦に八つ当たりしてこう言った。「あんたなんて、夫に頼んで灰にしてやるから」。やはり彼女は知っていたのである。
そう考えると、恐ろしい疑惑が次々と浮かぶ。たとえば家庭菜園に肥料として撒かれる灰。あれは犠牲者の遺灰なのではないのか―。人は他者を関心領域の外に追いやり、非人間化することができるという事実を本作は突きつける。それは決して「今ではありえない過去の話」ではない。
ガザの今を想起
ユダヤ系英国人のジョナサン・グレイザー監督は、ヘス一家は「僕たちと同じ」と強調する。ホロコーストはモンスターの仕業ではなく、人間が考え実行したことだと言うのだ。
「この映画で僕は、人がいかに世の中で起きている残虐行為から自分自身を切り離すのか、ということを語りたいと思いました。あるいは無関心でいられること。そうすることで共犯になることについて。なぜ一部の人は、自分たちの命がほかの人たちのそれよりも価値があると思うのかということも」
ヘス一家は現実社会の写し絵といえる。心に壁を築き、世界で起きていることを見ないようにしているが、まったく何も知らないということはありえない。戦争、虐殺、貧困、飢餓。現在で言えば、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの侵攻について。
グレイザー監督はアカデミー賞の授賞式(3/10)でこの問題に言及し、「ユダヤ人の歴史やホロコーストの概念が乗っ取られて、無実の人びとを苦しめる争いに用いられていることに強く抗議します」と語った。ホロコーストの被害者であることを民族浄化の正当化に使うイスラエル政府への痛烈な批判だ。
他者の非人間化が大量殺害を可能にし、無関心がそれを助長する―。この映画は観る側の「関心領域」を問うている。 (O)
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