2024年06月21日 1826号
【未来への責任(400) ソウルの強制動員被害者運動記録写真展】
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5月24日から、ソウルの植民地歴史博物館で「強制動員被害者運動記録写真展」が始まった(主催―太平洋戦争被害者補償推進協議会・民族問題研究所)。そのオープニング・トークイベント「あの日を記憶して」のパネリストとして招待いただき、2018年の博物館オープニング以来、6年ぶりに韓国を訪れた。
私は24日の夕方に会場に到着し、設営が終わったばかりの展示をゆっくり拝見することができた。エントランスには、軍人軍属裁判やノー!ハプサ訴訟でご一緒した被害者・遺族の皆さんの懐かしい顔写真が一面に展示されていた。お亡くなりになった方もたくさんいた。日鉄大阪訴訟の呂運澤(ヨウンテク)さん、申千洙(シンチョンス)さんの写真とともに、日鉄本社前で行動する日本の支援者が写った写真も多くあった。私も含め、支援者も若かった。時間の流れの速さを痛感した。息子たちと一緒に参加した、李熙子(イヒジャ)さんを講師にしたキムチ教室の写真もあった。その息子たちももう大学生だ。
展示は写真だけではなく、映像パネルがいくつも掲示されていて、なつかしい映像を見ることができる。主催者がいかに記録を大事にし、収集・整理を続けてきたかがよくわかる。今回の企画は、2004年に「強制動員真相糾明特別法」が制定されてから20年を記念して、「過去20数年間、韓国と日本で闘ってきた被害者たちのさまざまな記録写真を通じて、強制動員問題の解決のために努力してきた被害者・遺族と韓日市民連帯の足跡を振り返り、その運動の意味を記憶し、今日につなげる場」として準備された。会場では若いスタッフが準備に走り回っており、それにふさわしい場となったと思う。
25日のトークイベントのはじめに、主催者を代表して李熙子さんは20数年の運動を振り返り、「大法院判決は、日本から始まり、長い間の日韓の市民と被害者の連帯によって成し遂げられた。未だ権利行使が妨げられている生存被害者の方々が存命のうちに、必ず被害者の権利と人権を回復させたい」と呼びかけた。会場には、戦後補償裁判に関わった日韓の市民とともに、不二越訴訟の原告本人も遠方から駆けつけ、「少しでも補償してほしい」と切々と訴えた。
記録や裁判活動について報告するよう言われていたが、直前の打ち合わせで構成が全く変更になり正直とまどった。「なぜ30年支援を続けられたか」という皆さんの関心に答えられたか自信はないが、「韓国の皆さんとの出会いによって成長できたことの感謝」を伝えることはできたと思う。
展示会は7月21日まで開催されている。韓国を訪れた際には、ぜひ植民地歴史博物館に足を運んでほしい。
(日本製鉄元徴用工裁判を支援する会 山本直好)
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