2024年06月28日 1827号

【シネマ観客席/骨を掘る男/監督・撮影・編集 奥間勝也/配給 東風 2024年 日本・フランス 115分/戦争をしないことが最大の慰霊】

 沖縄戦戦没者の遺骨や遺品を家族の元へ返す取り組みを続けている具志堅隆松(ぐしけん たかまつ)さん(70)。その活動を追ったドキュメンタリー映画『骨を掘る男』が公開中である。国家に見捨てられ、地中に埋もれたままの骨は、今を生きる私たちに何を語っているのだろうか。

遺骨を探して40年

 漆黒の闇。その中から聞こえる「方向感覚が逆になっていた」という男の声。ここはガマと呼ばれる沖縄の自然壕の奥だ。男はかすかな灯りを頼りに地面を掘り続ける。「いるんだったら早く出て来いよー」。探しているのは沖縄戦戦没者の遺骨だった―。

 彼の名は具志堅隆松さん。遺骨収集のボランティア活動を始めて約40年。これまでにおよそ400柱の遺骨を探し出してきた。彼は自らをガマフヤー(フヤーは沖縄の言葉で「掘る人」という意味)と呼ぶ。

 沖縄戦の戦没者は推計18万人。激戦地だった南部を中心に未収容の遺骨が約3千柱あるとされる。もっとも正確な戦没者数が分かっていない以上、あと何人の遺骨が残っているのか分かるはずもない。沖縄戦はそういう戦争だった。

 遺骨は無言だ。しかし具志堅さんほどの熟練者になれば、損傷具合などから多くの事実が分かる。手首から先がない2本の腕の骨。手榴弾を両手で握ったまま自爆したのだろうか。同じ場所から薄い頭蓋骨と乳歯、かんざしや変形したキセルが見つかった。母親と幼い子ども、そのおじいさん、そして兵隊がいたと、具志堅さんは推察する。

 近年はDNA鑑定技術の発達により、身元を特定できる可能性も高くなってきた。遺骨が帰ってくることを期待する遺族は大勢いるのである。それなのに、政府は辺野古の米軍新基地建設に使用する土砂を南部から採取しようとしている。遺骨が含まれているかもしれない土を埋め立てに使うつもりなのだ。

 具志堅さんは抗議のハンガーストライキを決行し、街ゆく人びとに呼びかけた。「これは基地に賛成とか反対とか以前の人道上の問題です。死者の尊厳を守るためにも一緒に声を上げてください」

行動的慰霊とは

 奥間勝也監督は1984年生まれ。祖母の妹が沖縄戦で亡くなっている。彼女、正子さんは当時20歳。日本軍の事務員として軍と行動を共にした。記録には南部で「戦死」したとあるが、詳しいことは分らない。遺骨も見つかっていない。

 奥間監督にとって正子さんは、自分が生まれるはるか前に亡くなった親戚の一人だ。自分も沖縄戦の遺族であるはずなのに、遺族だという実感がない―。映画の中で監督はくり返し自問する。「会ったことのない者の死を悼むことはできるのか」。本作の主題はここにあるといえよう。

 具志堅さんですら「自分が何をしているのか分からなくなることがある」という。それでも彼は掘り続ける。「遺骨が見つかる、見つからないじゃなく、亡くなった人により近づこうっていうこと」。その行為を「行動的慰霊」だと具志堅さんは語った。

 今は亡き者たちが生きた痕跡をたどり、その存在を感じ、思いを馳せる。それは人間を人間たらしめている行為であるはずだ。そうした弔いがなされることで人間の尊厳は守られる。死者を放置し、忘れ去るようなことがあってはならないのである。

 一方、戦争国家にしてみれば、個人の尊厳をいちいち気にかけてはいられない。実際、この国は戦没者の遺骨をないがしろにし続けてきた。沖縄だけではない。東京や大阪でも、空襲被害者の膨大な遺体が火葬されることもなく、空き地や公園などに埋められた。モノのように「処理」されたのだ。国外でも多くの遺骨が回収されていない。

 政府は人びとを戦争に駆り立て使い捨てにしたことを反省せず、ひたすら「忘却」の促進に務めてきたといえる。そんな連中が再び沖縄を舞台にして戦争を始めようとしている。絶対に許されないことだ。具志堅さんが言うように、政治的立場は関係ないのである。

見えないものを見る

 具志堅さんの活動を追い、正子さんに関する資料を調べることを通して、奥間監督は思い至る。残された遺骨や資料は戦没者が生きた断片にすぎない。その背後には残らなかったもの、記録されなかったものが膨大に存在している。そうした「見えないもの」を感じ取るために、見えるものを見続けるのだ、と。

 そして、具志堅さんはガマの暗闇の中で遺骨を掘り続けている。土と同化した骨と向き合い、その「声」を聞く。「戦没者に対する最大の慰霊は、二度と戦争を起こさせないことだと思っています」。日本国憲法の精神をこれほど端的に表現した言葉はない。(O)

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