2024年06月28日 1827号

【陸自HPに沖縄戦指令官「辞世の句」/変わらぬ「沖縄犠牲」の発想】

 沖縄を管轄する陸上自衛隊第15旅団のホームページに、沖縄戦を指揮した旧日本軍の司令官が自決する前に詠んだとされる辞世の句が掲載されていることが発覚。「沖縄を捨て石にした旧日本軍の意思を自衛隊は継承しているのか」と厳しい批判を浴びている。

 掲載されているのは旧日本軍第32軍の牛島満司令官の「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦らなむ」という句。沖縄国際大の石原昌家名誉教授は「住民への謝罪の思いはなく、もっぱら皇国しか念頭にない。沖縄戦で無念死した住民に何ら思いを寄せない非人間的な句だ」と憤る(6/4沖縄タイムス)。

 牛島は住民を盾に米軍を迎え撃つ作戦を指揮した張本人である。住民も兵士と同じように命をかけて国を守れという「軍官民共生共死」という指導方針をとり、住民が米軍に投降することを許さなかった。死ぬ前に残した命令は「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」。死ぬまで戦い続けろ、ということだった。

 このように、牛島は沖縄戦を「本土決戦までの時間稼ぎ」と位置づけ、出血持久戦を貫いた。一般住民が戦闘員を上回る犠牲を強いられたのはこのためだ。そうした人物の思想をあらわす「辞世の句」を、陸自部隊は「歴史的事実を示す資料」(木原稔防衛相)として掲載したのである。これが沖縄戦の歪曲・美化でなくて何であろう。

 前出の石原教授は、中国との戦争を想定した沖縄の軍事要塞化が背景にあると指摘する。「沖縄の『戦場化前夜』という局面を念頭に、自衛隊員に、牛島満の『最後まで敢闘せよ』という精神を継承させようという強い意思の表れだろう」(6/6東京新聞)。住民の犠牲を当然視する発想も旧日本軍から変わっていないということだ。  (O)
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