2024年07月19日 1830号

【沖縄恨(ハン)之碑追悼会/全国474人1363万円の協力で土地取得/沖縄と朝鮮をむすぶ平和の架け橋/NPO法人沖縄恨之碑の会・事務局長 西岡信之】

 PFAS(有機フッ素化合物)汚染の上、ダム給水制限で水不足に悩んでいた沖縄。しかし、うりずん(梅雨)の季節に入るや100年ぶりの豪雨が続き、毎年この時期に開催してきた恨(ハン)之碑の会の追悼会は、碑前広場ではなく読谷村(よみたんそん)文化センターの室内で行った。

 安里英子共同代表が3月に急逝。建立以来、18年間課題としてあった土地問題についても約360坪を一括購入することで地主と合意という歴史的な節目だったので、碑前での開催を願っていたが、叶(かな)わなかった。

想いを馳せた追悼会

 6月15日の午後から開催された追悼会は、読谷村波平にある何我寺(ヌーガジ)住職で会の副代表の知花昌一さんが体調を崩され、副住職の知花一盛さんら3人が読経、参加者全員での菊の献花で始まった。

 読谷村長の石嶺傳實さんや韓国から太平洋戦争被害者補償推進協議会・共同代表のイ・ヒジャさんから安里英子さんを追悼するメッセージ、チビチリガマ遺族会・会長の與那覇(よなは)徳雄さんからの挨拶が続く。

 今回、安里英子さんの長男で京都大学大学院アジア研究教育准教授の安里和晃さんが参加され、「母がどれだけ朝鮮半島との連帯を深めていたか詳しくは知らなかったが、遺志を受け継ぎ韓国・朝鮮との平和連携を続けていきたい」と語った。屋内のため恨之碑のようなモニュメントは用意できなかったが、正面のスクリーンに恨之碑や安里英子さんの写真が次々と流され、想いを馳せた。

 その後、読谷村在住の中野夢さんの琉球笛、普天間基地・野嵩(のだけ)ゲートでゴスペルを歌う会のキリスト者の皆さんの賛美歌、海勢頭(うみせど)豊さんの歌が続いた。海勢頭さんは、韓国・済州島(チェジュド)四三事件の『ハルラ山』を歌い、「英子さんが生きていたら踊っていたな」と。会場に来ていたダンサーの牧瀬茜さんを正面に来るように呼ぶと、日本軍「慰安婦」を偲んだ曲『トラジの花』を牧瀬さんがアドリブで踊るパフォーマンスを披露した。

 最後に安里代表の後を継ぎ新しい共同代表に就任した新垣仁美さんが「英子さんの遺志を引き継ぎ、精いっぱい頑張っていきたい。碑の維持のためにご協力いただける人を増やしていきたい」と語った。

土地売買契約を調印

 6月17日、沖縄市内の司法書士事務所で、碑の土地売買契約の調印式を行った。18年前、会に代わって土地代金を支払われた読谷村在住のご夫妻、安里和晃さん、会代表の新垣仁美さん、事務局長の西岡が出席した。

 1300万円の土地購入資金は3月末から募金呼びかけを開始し、6月21日現在全国の474人から1363万円が寄せられた。この場を借りて寄付者の皆様に心から御礼申し上げます。

 すでに土地代金等1100万円の支払いも終わり、契約によって碑が建立する土地はついに私たち恨之碑の会の所有となった。行政による不当な撤去や解体などを許さないという全国からの熱い支援が後押しした。

 本件土地を最初に不動産屋で見つけた山口洋子さん(当時会計)が亡くなり、理事で土地所有について心配されていた元違憲共闘会議議長の有銘(ありめ)政夫さん、購入のための最終的な交渉を進めた安里英子さんまで他界された。沖縄の反戦反基地平和のために奮闘されてきた皆さんだ。朝鮮半島との連帯も強く求めてこられたこうした先輩たちに土地購入を無事に終えたことを報告した。

 安里代表が亡くなり代表変更や土地登記など法務局の手続き、寄付者の皆様への御礼の会報特別号の発行など、やるべき課題は山積している。沖縄と朝鮮半島をむすぶ平和の架け橋になれるよう新生恨之碑の会がスタートをきった。

      (7月4日)

沖縄恨之碑とは

 戦争中、沖縄に連れてこられた朝鮮人「軍夫」を追悼し、韓国(1999年建立)とともに2006年に読谷村瀬名波(せなは)に建立された。制作は彫刻家・金城実さん。





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