2024年07月26日 1831号
【アフガニスタン RAWAスピーキングツアー/女性の人権抑圧と闘う不屈の姿/RAWAと連帯する会 桐生佳子】
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アフガニスタンでタリバン(現地語でターリバーン)政権の支配と闘うRAWA(アフガニスタン女性革命協会)。「RAWAと連帯する会」は結成20年の今年6月12〜24日、若い現地活動家シャミームさん(仮名)を迎え全国9か所でスピーキングツアーを行った。
今回、広島から大阪、北海道、東京をはじめ交流会も含めると15か所に及ぶ講演ツアーとなった。
2021年8月、ターリバーンが再び政権を掌握した。恐怖と絶望の中で多くのアフガン人は国を出て行った。出て行かざるを得ない人たちもいた。しかし、RAWAは困難な時だからこそ人々に寄り添い留まることを決めた。シャミームさんがたびたび触れたのは「ターリバーンの支配下で女性の人権はないに等しい。女の子の就学は小学校まで。女性の就労制限、服装規定や外出時のマハラム(男性家族)同行など多くの制限が課され、まるで監獄の中にいるようだ」という女性への人権抑圧の実態である。このアフガンの女性をめぐる問題について日本の人々に伝え、国際的な目を向けていく必要性を訴えて全国を回った。
強い使命感
同行する中で垣間見えたその横顔を紹介したい。
シャミームさんは使命感の強い人で来日当初から「観光に来たのではない」という強い姿勢が感じられた。列車での移動中も、会話以外は分厚い本を読んでいた。日本での経験はすべてチャレンジと捉えていた。 時々こんなことを聞かれた。「今日のわたしはどこが悪かったか言ってほしい」。「講演はちゃんと伝わっていたよ」と言うと、「それ以外のすべての自分の振る舞いについても。悪かったところを直していきたい」と。悪い所など一つもなかった。向上心に驚く。
私が年寄りなので「ママ、それは私がするから」と、食事後の茶碗洗いや荷物持ちも私にさせないように気をつかう。アフガン人は年配者を大切にする文化があるが、うれしかった。
同年齢層の人たちとのコミュニケーションは特別の思いがあったようだ。同志社大学の院生との会食では、自分の話が同年齢の若い人たちに伝わっている手ごたえがあったのだろう。途中で泣き出してしまった。長野では高校生に講演をし、室蘭では大学生の授業にも参加した。また東京では飛び入りで小学校の授業にも参加させてもらった。
平和は闘いとるもの
広島での出来事は印象深い。講演の後で新聞記者さんの取材があったが、どうも話がかみ合わない。記者さんは原爆資料館と平和公園に行き、被爆者の聞き取りもしたことから平和へのメッセージがほしかったようだ。ところがシャミームさんにとっての「平和」とは、これまでその言葉を使って自国が攻撃され、その言葉を使って国民の頭越しに権力のやり取りがなされることでしかなかった。いつもその犠牲になってきたのは一般の人々。平和は願えば手に入るものではなく、自らの手で闘い取るものというのが彼女の考えだった。
"連帯"は私たちの"世界"
室蘭に来る頃にはすっかり緊張がとれ、冗談を言えるようになってきた。
半日の室蘭観光。アフガニスタンは内陸国で海がない。海を見ようと地球岬に行く。シャミームさんは写真を撮りっぱなし。風景だけでなく自撮りで自分の姿も収める。さながら、女優さんのポーズ写真だ。
山の方にも行こうと洞爺湖から有珠山ロープウエイを目指す。頂上には修学旅行生も多く来ている。その子らを見ている彼女の視線が少し複雑なように感じたのは気のせいだろうか。
自分は教師の職を追われ、子どもたちの教育の現場から離れている。ターリバーン支配さえなければ、自分も教師として子どもたちに関わっていたはずなのだ。
夕方もう一度海岸に行く。「あと何分いられるか?」と聞いて、波打ち際に走っていく。海の中に入りジーパンも靴もびしょぬれになったが、つかの間の解放感に大満足で帰路に就いた。
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この2週間余り、日本各地を大急ぎで回った。きっと多くの経験をしたことだろう。講演の中の彼女の言葉で終わりたい。「皆様方の連帯は、私たちにとって世界を意味するのです」
※講演詳細は後日発行のツアー報告集を。また、RAWAの現在の闘いはこちら。
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