2024年07月26日 1831号

【コラム 原発のない地球へ/いま時代を変える(2)/腐敗した司法との正しい向き合い方】

 3・11直後、10万人、20万人という巨大なデモのうねりが起きた首相官邸前で、司法と原子力ムラの癒着・腐敗の象徴として厳しく指弾された裁判官がいる。味村治判事。最高裁第1小法廷で四国電力伊方原発訴訟に関わった。1992年10月29日、第1小法廷は5裁判官全員一致の結論で、住民が求めた伊方原発の設置許可取消しを棄却する。退官後、原子炉メーカー・東芝への天下りが判明した味村裁判官は特に厳しい批判を受けた。

 原発設置許可取消しを棄却した裁判官が、退官後に原子炉メーカーに天下りしていたことは癒着・腐敗以外の何ものでもなく、“最高裁は原子力ムラの代理人”だと批判されても弁解の余地はない。

 一方で、この伊方原発訴訟が最近、各地の原発裁判で肯定的な形で引用されるケースがあり、改めてその内容に注目が集まっている。この判決には、控えめに見ても評価すべき点が2つある。

 1つは、「原子炉が高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料として使用する装置であり…(原子力災害が)万が一にも起こらないようにするため、原子炉設置許可の段階で、…科学的、専門技術的見地から、十分な審査を行わせること」を国に求めた点である。原発の安全管理は、一般人が運転する自動車と同レベルで論じてはならず、万が一の事故をも避けるべきであり、この条件が満たされない場合、設置許可を違法とまで言い切っている。

 2つ目は、原発の危険性は本来、住民側が証明すべきであるとしながらも「当該原子炉施設の安全審査に関する資料をすべて被告行政庁の側が保持していることなどの点を考慮すると、被告行政庁の側において、…判断に不合理な点のないことを相当の根拠、資料に基づき主張、立証する必要」があるとした点である。チェルノブイリ原発事故6年後とはいえ、国内では原発過酷事故が未発生だった1992年段階としては、かなり思い切った判断と言っていい。

 2022年5月31日、札幌地裁。谷口哲也裁判長は、住民が求めた北海道電力泊原発の差し止めを認めた。判決文には、原発が法的基準を満たすかどうかに関する資料は被告(電力会社)が持っているのだから、被告が「安全であることの立証」をすべきなのに北電がまったくそれを果たしていない、と伊方訴訟判決そっくりの内容が書かれていた。

 2022年6月17日、福島原発事故の国の責任を認めなかった最高裁判決への怒りは、2年後に様々な反原発・反公害団体、市民950人が最高裁を包囲するまでに高まった。だが、30年も前の判決の先進的部分が、後の訴訟に思わぬ形で影響を与え得ることをこの例は示している。過去の判決の先進部分に学び、不当な部分はきちんと批判し原発の危険性を立証していく。司法と正しく向き合うには、やはりこのような地道なやり方以外にない。 (水樹平和)

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