2024年10月04日 1840号

【コラム 原発のない地球へ/いま時代を変える(7)/改めて6・17最高裁判決 三浦裁判官意見を読む】

 一昨年6月17日に最高裁が下した、原発事故は国に責任なしの「6・17判決」は国や原発事業者等の責任を問う訴訟に重要な課題を投げかけている。これに対し、本年6月17日には16団体が呼びかけて最高裁ヒューマンチェーンが取り組まれ大きな盛り上がりを見せた。6・17判決で今後の原発訴訟に何が求められているか、その課題解明の視点について考えてみたい。

 その解を導き出す手がかりとして注目されるのが6・17判決における三浦裁判官の少数意見である。30ページにわたるその意見は多くの専門家から「第二判決」と言われるくらい、下級審を踏まえた原発事業に関わる者の責任のあり方に法律的な判断を下したものだった。例えば、地震推進本部の長期評価について「本件事故から8年以上前に、本件長期評価の公表により、その当時の法令上、本件各原子炉施設が本件技術基準に適合していないと認識することができ、東京電力としては、極めてまれな災害も未然に防止するために適切な措置を講ずる法的義務を負っていた」(判決書48ページ)と述べ、「本件長期評価を前提とする事態に即応し、保安院(その後の規制委員会)及び東京電力が法令に従って真摯な検討を行っていれば、適切な対応をとることができ、それによって本件事故を回避できた可能性が高い」(同51ページ)として、国および東電の責任を認めている。

 さらに、原発事故における責任を考えるうえで重要な要素である「未知の危険」への対応についても、「その判断は確立した見解に基づいて確実に予測される津波に限られるものではなく、最新の知見における様々な要因の不確かさを前提に、これを保守的に(安全側に)考慮して、深刻な災害の防止という観点から合理的に判断すべきものである」(同P38)として、「高度の注意義務」に基づく結果回避義務を課している点は注目できる(合理的危険説における注意義務については、『福島原発、裁かれないでいいのか』〈古川元晴ほか著 朝日新書〉をお読みください)。三浦裁判官の意見におけるこれらの点をめぐって、下級審で敗訴している訴訟については今一度吟味する必要があると思われる。

 原発に求められる安全性は、1992年の伊方最高裁判決において「万が一にも事故を起こしてはならない」と、判例として確立している。国や東電も安易に否定はできないが、執拗にこの基準を無視し、切り崩そうとしている。したがって、福島原発事故を経験した現在の司法に課せられた使命は「福島原発事故を二度と起こしてはならない」ためにはどのような責任のあり方が求められるのか、改めて示すことだと思う。ここが6・17判決を乗り越えるポイントであり、今後の最高裁共同行動の基本線と考えている。今ふたたび、重要な指摘に富んだ三浦裁判官の意見を読み返されることをお勧めする。(K・K)

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