2024年11月08日 1845号
【島民の安心を拒むもの/再生、自立が展望】
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私の住む街・西宮に、お母さんが与那国島出身の知人がいます。私は、その知人から、自然と生き物が共棲し島独自の交流文化、国境を越えた友好の歴史がある島と初めて知りました。祖母から「戦(いくさ)のある所には必ず弾が飛んでくる」と戦争の怖さ、平和の大切さを教えられ育った知人は、与那国島に行くたびに自衛隊基地が増え様変わりしていく姿に胸を痛め、島の再生を願いながら生活をしています。そんなかかわりの中で、今回参加しました。
現地1日目は思わぬ農業体験で、山田和幸さんの畑を耕し、もみ殻、有機肥料を蒔く作業をほんの少しお手伝いしました。かつて与那国は沖縄県内でも有数のコメの産地でしたが、今は米を作る人が一人に。数年眠っていた畑の土は手でつぶれないほど硬かったです。
山田さんは「島で暮らしていく人が加速度的に減り、9月現在1600人。2年くらいで自衛隊関連の人口が島民の数を上回るのでは」と危惧されています。
島に来たい人もいるが、住宅がない、入れる保育所がない、病院がないなど生活基盤がなくあきらめる。最近は、高校がないから若い子育て層は小学校時から島を離れて子育てをする。高齢者は、病気、急病になると診療所では対応できないので家族と共に島を出ていく。保育士、介護職の人手不足で保育所が1か所廃園、町営の特別養護老人ホームも廃園が決まっている―などなど。自衛隊の新しい立派な官舎のかたわらに、ぼろぼろの町営住宅と、住民の暮らしは手つかずで放置されていました。
古来より与那国の人々は、近隣の島々と海の道を通じて台湾、中国、フィリピンなどアジアと往来しながら深い親交を築いていました。
3日目、与那国島の小、中学生21人がお互いの文化の違いや理解を深めるために台湾花蓮市へ出発する場に遭遇。交流の歴史を感じました。台湾でのホームステイに子どもたちは目を輝かせ「台湾の子と仲良くし、友だちをたくさん作りたい」とあいさつする6年生。交流で育まれるこうした精神が、青年になる頃、この島で暮らし続ける自立ビジョンに結びついていくのだろうと体感できました。
(兵庫・西宮市 畑京子)
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