2024年11月15日 1846号

【女川原発2号機 被災地初の再稼働強行/すぐにトラブルで原子炉停止】

 東北電力女川(おながわ)原子力発電所2号機が10月29日、地元住民の抗議の声を押し切り再稼働した。事故を起こした福島原発と同じ沸騰水型の原発として初の再稼働。本来なら世界に向け脱原発を発信しなければならないはずの東日本大震災被災地・東北としても初の再稼働に地元の怒りは続く。


住民投票請求も否決

 東日本大震災の際、宮城県女川原発も津波に襲われた。ただ、2・3号機の外部電源は維持された。全電源喪失とはならず、原子炉冷却を続けられた。

 女川原発を襲った津波は最大14b。福島第一原発とほぼ同じ高さだったが、防潮堤は高さ9・1bの津波しか想定していなかった。防潮堤を越え、今回再稼働した2号機の地下3階が浸水したところまでは福島第一原発と似た経過をたどった。外部電源が喪失していれば福島のようになっていたことは確実で、その差は紙一重だった。

 ところが、原発推進勢力は、震災当時、女川原発の敷地が住民の避難場所として使われたことだけをことさらに強調し「避難所に使われるほど女川原発は安全」として早期再稼働を求めるキャンペーンを執拗に繰り広げた。

 2019年には、「女川原発再稼働の是非をみんなで決める県民投票を実現する会」が主体となり、原発再稼働の是非を決めるための県民投票条例制定を求める直接請求署名運動が行われた。地方自治法の規定に基づくもので、直接請求に必要な有権者数の50分の1(約4万人)を大きく超える11万1743筆の署名を集めたが、自公両党で過半数を占める宮城県議会は2019年3月15日、条例案を否決。住民投票は実施されなかった。

反対無視し強行

 再稼働への動きが本格化したのは、ここでも岸田政権が「原発大回帰」を決めた2023年以降だ。「女川から未来を考える会」(代表・阿部美紀子元女川町議)等の住民団体は10月29日、連名で東北電力に対し、再稼働反対の申し入れを行った。申し入れ書は(1)自然災害への不安(2)福島の教訓(3)多量の温排水が環境に与える影響(4)10万年後まで管理が必要な核のごみ問題(5)戦争・テロへの不安の5項目からなっており、いずれも原発が抱える問題を的確に指摘している。特に、被災地として13年半を過ごしてきた地元にとって(1)と(2)は譲れない要求だ。

再稼働直後に停止

 多くの反対の声を押し切り再稼働が強行された女川原発2号機で、中性子線を測定する計器類に早速、トラブルが発生した。

 中性子の線量は、原子炉内で核分裂が持続する「臨界」状態になると膨大となるが、その測定ができないと原子炉内が安定しているか、発電に支障がないか等を判断することが難しくなる。東北電力は当初、原子炉を止めないまま計器類の交換で乗り切る構えだったが、11月3日になって原子炉停止を余儀なくされた。

 「原子炉内の中性子を計測する検出器の校正用機器を原子炉内に入れる作業を行っていたところ、途中で動かなくなる事象が発生」(東北電力プレスリリース)したとされる。校正とは計器類に狂いがないかを調べ、必要があれば調整する作業のことだ。発表が事実なら、東北電力は中性子線の計測器の校正もろくにできない態勢のまま再稼働に踏み切ったことになる。きわめて重大なミスだ。東北電力に原発運転の資格はない。

 そもそも東日本大震災で緊急停止して以来、女川原発は13年間も稼働していなかった。設備は稼働していなくても老朽化する。また、13年もの空白期間によって、原発運転経験を持つ労働者も枯渇している。相次ぐヒューマンエラーはそれを象徴するとともに、原発大回帰政策が危険で無謀であることも裏付けた。

 福島事故以降、各地で粘り強く行われた反原発運動の力で、原発再稼働は技術的にも不可能になりつつある。自信を持って闘いに取り組み、全原発を廃炉に追い込むときだ。



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