2024年12月06日 1849号

【哲学世間話(43)/命に優劣はつけられない】

 総選挙直前の10月12日開かれた7党党首討論会(日本記者クラブ主催)で、国民民主党玉木代表は臆面もなく次のように言い放った。

 「社会保障の保険料を下げるために、われわれは高齢者医療、とくに終末期医療の見直しにも踏み込みました。尊厳死の法制化も含めて…医療給付を抑え、若い人の社会保険料給付を抑えること」で、消費と経済を活性化させる。

 この発言には、「若者・現役世代」と「高齢者世代」の世代間分断・対立をあおっているとの批判では済まされない問題が含まれている。

 玉木は「若い人の社会保険料」を軽減する、そのための財源は高齢者や終末期の患者にかかる医療費を削ることで確保する、と言っているのである。そればかりか、そのために「尊厳死の法制化」にも踏み込むべきだとまで主張している。

 ありていに言えば、回復の見込みの少ない終末期の患者が「自分の意志で」早く死ねるよう法を整備すべきだということである。その医療費を削減して、財源を「現役世代」に回すためである。

 さすがにこの発言には「現代の優生思想だ」との批判がSNSでも巻き起こった。この施策は、根本において、「経済を回せる」者=社会の役に立つ者を「優」とし、それに負担をかける者を「劣」とする思想に基づいて、人の命そのもの、人の価値に優劣をつけているからである。

 先の発言は、玉木個人の「勇み足」ではない。国民民主党の選挙公約にはそのことがはっきりとうたわれている。すなわち、同党の政策パンフには「11. 現役世代・次世代の負担の適正化に向けた社会保障制度の確立」という大項目のなかに、小項目として「(13)法整備も含めた終末期医療の見直し」が位置づけられているのである。

 「現役世代の手取りを増やす」ために、膨大な軍事費の削減を提起するのでなく、高齢者や終末期患者の命を削り落とすことで、その財源を確保しようとする、このような政策の実現を決して許してはならない。

 これをいったん許せば、その行き着く先は目に見えている。「経済を回す」「経済を活性化する」という大号令の下で、さまざまな社会的弱者がそれに負担をかける者とみなされ、その権利や命までもが削り取られることになりかねないであろう。

  (筆者は元大学教員)
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