2024年12月13日 1850号
【「大手メディアの敗北」というけれど/自ら招いた選挙報道の陳腐化/自主規制のきっかけは安倍恫喝】
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兵庫県知事選挙の結果について「大手(既存)メディアの敗北」と総括する向きがある。「有権者は制約に縛られる新聞やテレビではなく、不確かな情報があふれるSNSで判断するようになった」というのである。はっきり言って、これは言い訳にすぎない。
新聞・テレビ離れ
「私個人が思うのは、大手メディアのある意味敗北ですよね」。兵庫知事選挙の開票結果を伝える報道番組で、メイン司会者の宮根誠司はこう語った(11/17放送・フジテレビ系「Mr.〈ミスター〉サンデー」)。
実際、斎藤元彦候補を支持した兵庫県民の多くが一連の「パワハラ疑惑」報道に対する強烈な不信感を抱いていた。「既得権益層に立ち向かった斎藤さんを陥れようとしたマスコミは許せない」というやつだ。
番組が取材した70代の女性は「最近、普通のテレビを見ることがない。ユーチューブの方がしっかりとした正確なことを言っているから」と語る。「新聞やテレビは見ない。情報源はネット」という人はもはや若者だけではない。
NHKの出口調査が「投票する際に何を最も参考にしたか」を聞いたところ、30%が「SNSや動画サイト」と答え、「新聞」「テレビ」の各24%を上回った。また、「SNSや動画サイト」と答えた人の70%以上が斎藤候補に投票したと回答した。ネット発の情報が斎藤逆転勝利の原動力であることは明らかだ。
宮根は既存メディアがSNSに「負けた」理由として、「公平・中立性」の縛りを挙げる。新聞やテレビの選挙報道は抑制的にならざるを得ないが、「SNSなんかはそういうのをポーンと飛び越えちゃうところがある」というわけだ。
元テレビ朝日社員でコメンテーターの玉川徹も同じことを言う。「われわれ既存メディアは公職選挙法に縛られ、情報が少なくなっている。だから玉石混交の情報がネットの中にあふれてしまう」(11/18放送・テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」)
報道量が20年で半減
既存メディアの選挙報道が陳腐化しているのは事実だ。政党の公約や候補者の主張について踏み込んだ検証をすることはないし、そもそも報道の量が昔と比べて激減している。公示日翌日のテレビの選挙報道で比較すると、2005年の郵政解散選挙の時はNHKと民放5社合わせて9時間16分余り放送されていた。ところが今年10月の衆院選は4時間32分。20年で半分に減ってしまった。
これには転機となる事件があった。2014年11月、衆院解散を表明した安倍晋三首相(当時)はTBSの「NEWS23」に生出演した際、アベノミクスの成果を否定する街頭インタビューの映像に激怒した。その2日後、自民党は在京テレビキー局に対し、「選挙報道の公平中立」を求める要請文書を送り付けた。
政権与党による報道内容への不当介入であることは明らかだが、各局上層部はこれに屈服。以降、選挙報道は「当たり障りがないこと」を良しとするようになっていった。大手メディアの選挙報道がつまらないのは、公権力に忖度した「自主規制」の結果なのだ。
虚偽を正すのは責務
公職選挙法第148条には「表現の自由を濫用して選挙の公正を害してはならない」という規定がある。ただしそれは「虚偽の事項を記載」したり「事実を歪曲して記載」する行為のことだ。条文の趣旨はあくまでも「新聞紙、雑誌の報道及び評論等の自由」を保障することにある。
放送法第4条の「政治的公平」規定も、放送事業者が自らを律するための「倫理規範」であり、行政介入の根拠にはならない。つまり「法律の縛り」なんてものはないということだ。それは言い訳にすぎない。
ネット上には不確かな情報や明らかなデマが飛びかっており、今回の兵庫県知事選は特にそれが酷かった。「斎藤支援」の目的で立候補した立花孝志・「NHKから国民を守る党」党首の発信に至っては、人権を著しく侵害する誹謗中傷のオンパレードだった。
こうした場合、報道機関は民主主義の担い手として、怪しげな情報を検証し、はびこる虚偽とヘイトを正す責務があると自覚するべきだ。誤りを正さなければ、虚偽の情報によって選挙の結果が左右されかねないからである。
2018年9月の沖縄県知事選では、大量のデマ(その大半は玉城デニー候補への攻撃)がネット上に拡散された。危機感を抱いた地元2紙(琉球新報と沖縄タイムス)は、選挙期間中のファクトチェック報道に踏み切った。
このような取り組みを他のメディアも行うべきだ。肝心な時に「だんまり」では、見向きもされなくなるのは当然である。 (M)
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