2024年12月20日 1851号

【1851号主張/「非常戒厳」阻んだ韓国市民に連帯/緊急事態条項導入は許さない】

尹政権「非常戒厳」発令

 12月3日午後10時半ごろ、韓国の尹錫悦(ユンソンニョル)大統領が緊急談話を発表。「北朝鮮共産勢力の脅威から自由大韓民国を守り、韓国国民の自由と幸福を略奪している従北反国家勢力を一挙に排除し、自由憲法秩序を守る」として「非常戒厳」を宣言した。

 その直後に戒厳司令部が設置され、司令部は午後11時、「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなど一切の政治活動を禁じる」「すべてのメディアと出版は戒厳司令部によって統制される」「布告令違反者に対しては…令状なしに逮捕、拘禁、強制捜索ができ、戒厳法第14条により処断する」等の「戒厳司令部布告令(第1号)」を発表した。

 武装した戒厳軍は国会を包囲、一部突入した他、中央選管に侵入した。民主主義を破壊する暴挙だ。

民主主義守った市民

 韓国憲法第77条は「国会が在籍議員過半数の賛成で戒厳の解除を要求したときは、大統領はこれを解除しなければならない」と定める。戒厳を解除する権限は事実上国会にしかない。国会議員、市民の動きは速かった。封鎖された国会に駆けつけ、バリケードを築き、数千人の市民が「人間の盾」となって銃口に立ちはだかり戒厳軍の侵入を阻んだ。与野党を越えた190人の議員が国会内に入り、全員一致で戒厳解除を決議。6時間後、尹大統領は戒厳を解除せざるを得なかった。

 市民の抗議はソウル―全国に広がり、労働組合はゼネストを呼びかけた。野党は議会に弾劾訴追案を提出。7日、尹大統領は謝罪し、「第2の戒厳のようなことは決してない。任期問題はわが党に一任する」と表明せざるをえなかった。訴追案は3分の2に届かず採択されなかったが、国会を包囲した100万人の市民が弾劾を求める中、野党は再度の訴追案提出を予定する。

 1980年の戒厳令下の光州(クヮンジュ)事件、87年の民主化闘争は市民の心にしっかりと生きている。民主主義を守りぬいた市民の勝利だ。

軍隊は国民を守らない

 ブリンケン米国務長官でさえ「非常戒厳の解除を歓迎。平和的に解決されることを望む」と表明したが、石破首相は「特段かつ重大な関心をもって注視している」と述べただけだ。

 自民党は2012年「憲法改正草案」に緊急事態条項を盛り込み、18年には「改憲4項目」とした。石破は10月の国会答弁で「議論の積み重ねを引き継ぎ、後戻りさせることなく前に進める」と口にしている。

 しかし、韓国の「非常戒厳」発令は、緊急事態条項の発動が、民主主義を根底から破壊し自衛隊が市民に銃を向ける危険性を示した。韓国市民と連帯して、日韓政府の戦争路線に反対し、緊急事態条項導入の憲法改悪を絶対に阻止しなければならない。

 (12月8日)
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