2024年12月27日 1852号
【被団協 ノーベル平和賞スピーチ/政府の「国家補償拒否」に言及/「受忍論」の克服と核廃絶は一体】
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「何十万人という死者に対する補償は全くなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み続けています」。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の田中煕巳(てるみ)さんは、ノーベル平和賞の受賞スピーチでこう語った。なぜ国家補償の問題を強調したのだろうか。
黙殺に近い報道
12月10日、今年のノーベル平和賞の授賞式がノルウェーのオスロで行われた。被団協を代表しスピーチに立ったのは田中煕巳代表委員。中学1年生のときに長崎で被爆した田中さんは、被団協の結成当初から運動に携わってきた。
スピーチではロシアやイスラエルが「核の威嚇」を公然と行う現在の情勢に触れ、「核のタブーが壊されようとしていることに、限りない悔しさと憤りを覚える」と訴えた。そして「核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論」を否定し、「核兵器は一発たりとも持ってはいけない、というのが原爆被害者の心からの願いです」と強調した。
スピーチの中盤では、日本政府が一貫して国家補償を拒んできたことに言及。さらに原稿にはない発言を重ねた。「もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたいと思います」
ところが日本の新聞やテレビは、田中さんが強調した「国家補償」のくだりを極力スルーしようとした。NHKの定時ニュースがそうである。朝日新聞や毎日新聞も社説(12/11付)では触れなかった。
読売新聞に至っては「講演要旨」からも排除した。一般記事で「政府の補償が不十分だとし、強い言葉で苦言を呈する場面もあった」と書いただけなのだ。日本政府に忖度した情報隠しというほかない。
被団協の二大要求
一方、ネットニュースのコメント欄は国家補償に言及したことを批判する意見であふれた。「今までの活動が『やはり金欲しさか』という評価になってしまうので慎んでほしかった」「核廃絶という普遍的な問題を矮小化する」等々。
この手の反応は被団協を「被爆体験の伝承に特化した団体」とでも思っているのだろうか。だとしたら原爆被爆者がくり広げてきた闘いに対する無理解、いや侮辱もはなはだしい。
田中さんはスピーチの冒頭で、被団協の運動が掲げてきた二つの基本要求について語っている。第一に、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないこと。第二に、極めて非人道的な殺戮兵器である核兵器の速やかな廃絶である。
被団協が1984年に策定した「原爆被害者の基本要求」は、国が補償することの意味を次のように述べている。それは「核戦争被害を国民に『受忍』させないと国が誓うことであり、『ふたたび被爆者をつくらない』ための大前提となるもの」である、と。
さらに、政府が原爆被害者に国家補償を行ってこそ「日本の核兵器廃絶の訴えは、世界の人々の共感をうるものとなるでしょう」とも述べている。原爆の惨禍を繰り返してはならない。そのためには国が責任を認めて補償する必要がある。国家補償の訴えは核兵器廃絶の要求と不可分の関係にあるということだ。
戦争国家の論理
この基本要求が発表された4年前、厚生大臣(当時)の私的諮問機関が原爆被害者への国家補償を否定する答申を出している。いわく「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべて国民が等しく受忍しなければならない」
戦後補償要求を退ける際の定番となった「戦争被害受忍論」である。しかも答申は「国民の租税負担」を強調することで、被爆者と一般市民を対立させる手法にまで訴えてきた(前述したネットの被団協批判でも数多く見られた)。
「国が非常事態なのだから国民は我慢すべき」という「受忍論」は、今なおこの国にはびこっている。空襲被害など民間の戦災被害についても、政府は「受忍せよ」の論理で補償の訴えを退け続けてきた。
このような論理がまかり通るなら、国民は戦争政策という国策を「受忍」するのが当り前ということになってしまう。軍事基地の建設や強化は受け入れるべき、基地があるゆえの犯罪(兵士の性暴力など)が起きても仕方ない等々。
被団協の受賞スピーチは、再び戦争国家路線に転じたこの国への異議申し立てを含むものだった。だからマスメディアは日本政府にとっての「無害化」を試みたのである。 (M)
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