2025年01月03日 1853号
【2025MDSの闘い 佐藤和義委員長に聞く/グローバル資本支配の危機/民主主義的社会主義の道へ】
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世界の主要国で次々と政権交代が起こった2024年。いま歴史の岐路にある。グローバル資本主義の戦争継続、破滅への道か、平和と人権を擁護する民主主義的社会主義への道か。夏には参院選が予定さている25年。MDS(民主主義的社会主義運動)はどう闘うのか。佐藤和義委員長に聞いた(12月10日、まとめは編集部)。
世界的な政変と右派の台頭 この情勢をどう見るか
大激動の時代だ。フランス、英国、米国、ドイツ、韓国では、現政権がその座を追われ、または窮地に立ち、日本では少数与党に転落した。世界の主要国でこれほどの大政変が起きるのは初めてではないかと思う。
なぜなのか。グローバル資本の支配が限界にきているのであり、危機にいたっているためだ。グローバル資本主義が引き起こした貧困、格差、戦争に対し、市民が大きな怒りをもって各政権に臨んでいる現われだ。
だが、民衆の間に変革の方向性、展望が示されていないのが問題だ。欧米や日本で極右や右翼が台頭しているのは、そこにつけ込まれたからだ。
右派の特徴は、社会の矛盾を引き起こした責任、根本的な原因であるグローバル資本の収奪、搾取について一切批判しないところにある。するにしても一部を批判しているに過ぎない。
「既得権益の打破」を掲げ、既存の政治支配者、官僚を口先で攻撃し、民衆の怒りを代弁するかのように装う。賃金、社会保障、教育など民衆の要求を部分的に取り上げはするものの、すべての人権を擁護し、平等をめざすことはない。
欧米では移民、日本では在日外国人あるいは高齢者を標的にし、それが困窮の原因であるかのように批判する。それをSNSで拡散し、「支持」を得ている。
衆院選では、直接的には「裏金」が問題となったが、資本の儲けが続く一方で賃金は下がっていることに市民は納得がいかず、自公に入れなかった。その受け皿になった国民民主党は、党首が高齢者の「尊厳死」を言い出すような反民主主義的立場の人だ。
現情勢は、グローバル資本支配の危機に対して、排外主義、差別の方向に行くのか、民主的な変革の方向に行くのか、その岐路に立っていると見るべきだ。
日本のグローバル資本支配の実態をどう見るか
決して資本が強いわけではない。日本の経済は、IMF(国際通貨基金)によれば24年の実質GDP成長率は世界177位(0・32%)。世界の大企業100社の中から日本の企業はほとんど姿を消した。
グローバル資本は利潤率の低下を挽回しようと搾取を強め、国家財政、市民生活からより多く利益をむさぼることを考える。
資本の言う「賃上げ」は初任給を上げるだけで、中高年労働者は「ジョブ型雇用」やフリーランスにして安く使う。総体として賃金を抑制する。働かせ放題の「裁量労働制」も「非正規の正規化」も、労働者の権利を擁護するものではない。
国家財政をかすめ取る、その最たるものが軍事費だ。資本への税投入を正当化するために「中国脅威」をあおり、あるいは公共投資やDX(デジタルトランスフォメーション)、脱炭素化と言いながらグリーンニューディールなどを掲げる。
安倍政権は楽して儲けることをなんでもやった。世界的な競争も抜きに、その場で儲けることしかやっていない。ノーベル賞受賞者は誰もが基礎研究の重要性を指摘するが、そんな教育にはカネをかけない。労働者は使い捨て。これでは、産業を支える人材は育たず、経済のエネルギーも失っていく。資本自身が墓穴を掘っているのだ。
それは社会の発展・展望を失いながら資本が稼いでいるからで、資本の支配は薄氷の支配と言える。
社会を変える展望をどう示していくのか
フランスでは右翼の伸び以上に左派が前進した。米国ではトランプが勝ったが、根底的な批判をしているDSA(アメリカ民主主義的社会主義者)がメンバーを増やしている。韓国でも右派の大統領が市民の闘いの中で弾劾訴追される(12/14可決)。
グローバル資本との根底的な対決を回避して、左派は伸びることができない。
グローバル資本支配の最も醜いものが戦争だ。パレスチナの虐殺。右翼はこれに触れない。人を殺して利益を上げているのがグローバル資本なのだ。イスラエル批判をせず、ウクライナ戦争継続を言うようでは、グローバル資本との根底的な対決はできない。
石破内閣の下で、米軍と一体となった軍拡が進んでいる。これに対し、日米韓、台湾などアジアの民衆と連帯して、軍拡勢力と対決していく、これが資本にとっての最大のダメージになる。沖縄における反基地闘争と連帯して闘っていくことだ。
戦争・軍拡と闘っていく中で、基本的人権や生活を守り、平等を貫く民主主義的社会主義の方向が見えてくると思う。
「生きづらさ」の原因 資本の支配とどう闘うのか
若者たちは資本支配の中で本当に苦しんでいる。だが、職場闘争で突破するのは困難な状況にある。休暇を取ることにすら葛藤(かっとう)しなければならない。特に日本の青年層に資本の支配が深く及んでいるのは、労働運動の弱さのためだ。国鉄分割民営化の過程で連合の支配が進み、職場からの組合活動はつぶされていった。
「売り手市場」とは言うけれど、就職のためには「従順」にならざるをえない。学校でも、文句を言わせない教育の中で育ってきた。居場所がなく、不登校になっていく。資本はそれでいいと思っている。
では、資本の支配から解放される道をどう切り拓くのか。資本の悪辣(あくらつ)さに気づく一つが、戦争の実態を知ることだ。反対運動に参加し、ともに声をあげる連帯感が、自信となっていくと思う。
文化運動グループ「月桃の花」歌舞団が、ミュージカルの中で、戦争の悲劇と抑圧の中で苦しむ青年たちの姿を描いている。この歌舞団の活動を通じて、自分の居場所を見つけ、思うことを言ってもいいと実感する。自分は悪くない、社会を変えなければと、叫んだ言葉に同じ境遇の人たちから好反応を得て、自信を取り戻している。
闘う中でしか人としての誇りを取り戻せない。人間として生きていくことができない。多くの青年、学生に訴えていかなければならないことだ。
基本的人権を擁護し、差別・排外主義ではなく平等を徹底する。それが民主主義的社会主義だ。誰かを貶(おとし)めたりするような社会ではだめだ。困難な道ではあるが、資本の支配から解放する闘いをMDSは若者や市民とともに進める。
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