2025年01月03日 1853号
【山本よし子さんに聞く/“憲法いかそう”を貫いて/命と暮らしを守る/茨木市議2期目をめざす】
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目前に迫った大阪府茨木市議会議員選挙(1月19日告示、26日投開票)。2期目をめざす山本よし子茨木市議(憲法いかそう茨木市民の会代表)に、運動の原点や思いを語ってもらった。(12月14日、まとめは編集部)
“憲法いかそう”原点に
私は、中学校の社会科の教員をしていました。
昨年、生徒たちが同窓会に招いてくれたのですが、そこで「先生の授業で日本国憲法の前文を暗記するように言われ、みんなで次々に暗唱したことを覚えています」と言ってくれました。
それが私の基本だったし、“憲法いかそう”とスローガンに掲げているのは、憲法で生きられる社会をみんなで創ろうと考えられる生徒になってほしいという思いがあったからです。
中学校の次は、茨木市と箕面市の支援学校に行きました。支援学校には、重度の障がいを持った子がたくさんいて、在職中にも亡くなった子がいました。
どんなに重い障がいを持っていても、生きていくこと、命を大切にすることの意味を、私は支援学校の中で学んだと思います。だから、命や暮らしということを、何より大事に考えています。
そして今は、高齢者の福祉・介護や医療に焦点をあてています。「高齢者、早く死ね」というような政策がある中で、やっぱり命を大事にするんだ、が原点だと思っています。
模索して、市会議員へ
私は早期に退職して、「なかまユニオン」に入って争議支援をしたり、ジェンダー問題に取り組み、社会運動や市民運動を5年間、模索してきました。
教育活動や組合運動、人権問題に取り組んできたことが今、議員活動をやる上で、すごく力になっていると感じています。
私の後ろには、いろいろな運動と支えてくれる人がいることを実感しているからこそ、自信を持って活動ができていると思います。
私は、人と喋るのは、あんまり得意じゃないんです。でも街頭で訴えていたら、市民が声をかけてきてくれます。本当にうれしいです。
2年前に脳梗塞で倒れ、ようやくこの秋に施設から戻って来られた私の家の近所の方が今朝、訪問してくれました。「今日、集まりがあるでしょ?私は何にもできないけれど、がんばってほしいと思うから」って。私のチラシをちゃんと読んでくれているんだと実感して、泣きそうになるくらいうれしかったです。
応援してくれた父
今、特に高齢者へ意識が向くようになったのは、父親の存在が大きいです。父は電電公社(現NTT)に勤めていて、私が仕事をする時も、父は「もう女性が働かないといけない時代だ」としきりに言っていました。
ベトナム戦争の頃に私は父に「戦争がひどくなったらどうする?」って話をしたんです。すると「大丈夫。戦争に行こうとしている船も、武器を運ぶ電車も、労働組合がゼネストで止めるから、戦争を止めることはできるんだよ」と。父の言葉は、私の頭の中にずっとありましたね。
私は大阪にいて山形在住の親と一緒に住めず、父の介護は直接にはできなかった。だから、高齢者の誰もが安心して暮らせる社会になるよう、自分のできることを大阪でがんばろうと思ってきました。そんな父も、2年前に亡くなってしまいましたが。
一番に実行したい施策は
やっぱり学校給食無償化ですね。新型コロナの時に無償化できていたのに、小学校がやめてしまったというのがあるから。子どもにとって食べることは本当に大事なんですよ。
私が中学校の教員だった時、経済的な理由で弁当を持って来れない生徒がいました。担任が自分の弁当を、その子の弁当箱に入れていたことを思い出します。弁当を持って来れず、辛い思いをしている子どもが、今でもいるのではないでしょうか?
給食は子どもたちにとって、生きる糧(かて)です。中学校で無償にできるのなら、小学校でも今すぐできるはずです。
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