2025年01月03日 1853号

【「殺さない権利」を求めて(4)――非暴力・無防備・非武装の平和学 前田 朗(朝鮮大学校講師)】

 カルロス・ビヤン・デュラン教授とスペイン国際人権法協会は、イラク戦争を許さないために「平和への権利の国際法化」をめざし、2004年、ジュネーヴ(スイス)で開かれた国連人権委員会(現・人権理事会)でロビー活動を始めました。

 憲法前文に平和的生存権と書いてあるのに、国連人権機関で平和的生存権の主張をしてこなかったことを反省して「平和への権利国際キャンペーン日本委員会」(共同代表:海部幸造・新倉修・前田朗)は国際キャンペーンに加わりました。

 2005年、カルロスの弟子ダヴィド・フェルナンデス・プヤナが運動の事務局長として活動することになりました。エセックス大学大学院で国際人権法を学んだ若手研究者で、スペイン語・英語・フランス語を駆使して平和への権利を訴えて世界を駆け巡りました。各地でシンポジウムを開催して、平和への権利を求める宣言をまとめました。ルアルカ宣言、サンホセ宣言に始まり5大陸各都市での宣言を経て、東京宣言や名古屋宣言も実現しました。ある時、ダヴィドは「ぼくはロビー活動の能力が不十分だ」と言いながらアラビア語の勉強を始めました。後に「平和的生存権を勉強するために日本に留学したい。日本語ができれば東京造形大学で受け入れてくれるか」と言い出したのには驚きました。美術デザインの大学は平和的生存権の留学先には適していませんが。

 スペインや日本に加えて、国際友和会、国際平和ビューロー、国際民主法律家協会をはじめ多くのNGOが結集して、各国政府や人権問題特別報告者にアピールを続けました。国連人権理事会にこのテーマを持ち込むには理事国となっている政府の協力が不可欠です。当初はキューバが積極的でしたが、理事国ではなかったのと、キューバが取り組めばアメリカが猛反発するに決まっています。そこで平和への権利議案はコスタリカが担当しました。コスタリカ大使のクリスチャン・ギヨーメ・フェルナンデスが各国政府を説得しました。ダヴィドをコスタリカ政府アドヴァイザーに任命して、自由にロビー活動ができるようにしました。人権理事会会期中は在ジュネーヴ・コスタリカ政府代表部の会議室でダヴィドと打ち合わせをするのが習わしとなりました。クリスチャンとダヴィドは後に共著『平和への権利』(国連平和大学、2017年)を執筆しました。

 2011年、人権理事会諮問委員会が国連宣言草案を仕上げました。その準備会議をコーディネートしたのは国際民主法律家協会の塩川頼男でした。諮問委員会草案を人権理事会に報告し、次の段階に入りました。第三世界諸国を中心に多数の国家が賛成しましたが、アメリカ、EU諸国、日本、韓国が反対したためロビー活動が長期化しました。論点は、(1)平和は安保理事会の専権事項か、それとも人権理事会で決議できるか、(2)個人の権利に加えて、集団の権利を認めるか、(3)平和への権利の定義(射程、国家の義務)でした。
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