2025年02月28日 1860号

【ZENKOユース参加団in沖縄(2・8〜2・10)】

 前号に続き、参加した若者から感想が寄せられた。

まだまだ知らない沖縄/戦争ではなく平和を次世代に

 毎晩の感想交流会では、お互いが感じたことや考えたことを出しあい、平和への想いを深めた。

 1日目の交流会では、ガマで感じたことを共有した。「ガマの中でライトを消し想像した。明かりはまったく見えなかった。学徒として負傷兵を看護した体験者の方が『暗闇だったから耐えられた』と言っていたが、汗、臭い、麻酔なしの手術、地獄のような状況でどれほど苦しかっただろうか」の言葉に皆がうなずく。

 平和ガイドの松永光雄さんがガマで見せてくれたのは実物の手榴(しゅりゅう)弾だった。「爆発して破片が当たるのを想像すると恐ろしい」「私も遺骨収集ボランティアに参加したい」と、声なき声が次世代に戦争の恐ろしさを伝えた。

 辺野古新基地反対運動への激励横断幕を作成した。10代の参加者は「戦争は今も昔も同じように罪のない人たちを殺していく。そんな世の中は絶対に、本当に嫌だ。だからこそ戦争の時代は終わり。これからは平和を取り戻す」と思いを込める。「対話で平和をつくろう」「私たちの手で作ろう平和な未来」「今すぐ戦争やめて」と横断幕で泳ぐジュゴンに言葉を乗せた。

 辺野古を訪れた2日目は、巨大なサンドコンパクション船が不気味に大浦湾に浮かんでいた。「こんなに工事が進んでいるなんて」と皆驚いたことを口にした。「グラスボートで一所懸命生きている魚やサンゴを見て、工事することが悲しくなった。戦争してはいけないと強いメッセージを感じた」と30代の参加者。

 彫刻家の金城実さんからは、ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)と沖縄の運動のかかわりの歴史を聞いた。「自分たちの運動のルーツを知ることができた。上の世代が作ってきた関係を次世代がどうつないでいくか」。バトンを渡された思いがした。

 沖縄の歴史について、運動について、私たちはまだまだ知らない。もっと勉強していきたい。もっとつながりを広げ、強め、平和をつくっていきたい。戦争ではなく平和を次世代に渡していけるように。

(ZENKO共同代表 河辺友洋)


大きく変わった新基地建設現場にショック

 去年に続き今年も参加しました。変わったところもあれば、去年学んだことを再び学ぶことも出来ました。

 1日目ヌヌマチガマに入り暗闇体験をした時は、1秒がとても長く感じ、辛く感じました。遺骨収集の現場でガイドさんから手榴(しゅりゅう)弾を渡され、手に取るととても重い。手榴弾に溝があるのは、熱い破片が飛び散り殺傷力を強めるためと説明を聞き、とても驚きました。

 2日目は金城アトリエに。「解放へのオガリ」像は非常に大きく、長崎の平和祈念像より大きいという説明に凄いなって思いました。

 グラスボートに乗り、瀬嵩(せだけ)の丘から見た辺野古新基地建設の現場は、3、4年経ったかと思うほど凄く現場が変わっていて、何も言うことが出来ないくらいショックでした。

 この2日間を通して、沖縄のことを再び知ることができ、また辺野古新基地建設の現場を見て、今すぐにでも工事をやめてほしいと、再び思いました。

(「月桃の花」歌舞団 間嶋俊貴)

戦争で苦しい思い、つらい思いにさせない

 沖縄にいた2日間、とても勉強になりました。

 ガマはとても暗く私たちにはライトがあったが、昔の人たちは暗闇の中での生活や救護。心を外に出さず、心の奥底で我慢していた。

 慣れていない救護で学生たちはどうすればいいだろうとの思いがあったはず。傷が深ければ隊長に「やめろ。助かる人だけ助け、助けられない人は置いていく」と言われる。学生たちは看護しないといけないから嫌でもやらなければならない。

 薬や麻酔のない手術。される側は麻酔がないためとても痛い思いをする。怖いけど助けないと、と思う気持ちで、痛くて叫んでいるのを毎日見聞きし、暗闇の中ただ声を頼りに行く。

 隊長の言うことは絶対でみんな逆らえない。逆らったらどうなるかわからない恐怖で毎日過ごしていた。

 もう二度と戦争は起こらないでほしい。昔から多くの人たちが死ににいかされ、自分から死ににいくという人たちもいる。だから、もうこの生き残った人たちを苦しい思い、つらい思いにさせないでほしい。

 戦争で多くの命をなくし、家族はつらい思いをする。だから戦争はしない。

(「月桃の花」歌舞団 N)

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