2025年03月21日 1863号

【今と重なる80年前の出来事/軍事化を何としても止める/沖縄・西日本ネットワーク結成に参加して】

 鹿児島で開催された「戦争止めよう!沖縄・西日本ネットワーク」結成集会に参加した。

 参加したのは、鹿児島が私の故郷だから。母は生前何度も言った。「沖縄のようになるのは絶対に嫌だと思っていたら広島・長崎に原爆が投下され、8月15日に私は生きていた」と。

 1945年5月、アメリカは本土上陸作戦を立て、第一段階の「オリンピック作戦」では鹿児島の志布志湾、吹上浜、宮崎の海岸の3方面からの上陸を計画していた。日本軍は南九州での本土防衛のための準備を本格化させた。故郷は吹上浜に近い。女性は髪を短く切り顔を黒く塗って男のように見せかけ、兵士は背中に爆雷を背負って訓練し、上陸に備えたそうだ。

 疎開計画は、実現性が乏しく頓挫。沖縄からの疎開者は次の地に向かい、鹿児島で激しい空襲に巻き込まれた人もいた。長い時間が特攻・玉砕を柱とする戦争の準備に費やされた。

 80年前のこの出来事が今と重なる。軍事化を一日も早く止めなければという思いがさらに大きく膨らんだ結成集会だった。

   (横浜・宮ア良子)
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