2025年04月04日 1865号
【原発のない地球へ/いま時代を変える(19)/難しい話ではない原発稼働の司法判断】
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福井県・大飯(おおい)原発差し止め(2014年福井地裁)を命じた元裁判官の樋口英明さんは、最近の著書『原発と司法』(岩波ブックレット 1月発行)で、原発は「止める」「冷やす」「閉じ込める」の安全3原則が求められ、常に人による管理が不可欠、もし管理できなくなったら事故の被害の大きさは比類がなく我が国の存続を脅かしかねない、という本質を踏まえて原発の稼働を判断することでそう難しい話ではない、と述べている。原発稼働には規制権限を十分発揮して考えうるあらゆる対策を指導する責任が国に課されている、ということだ。
2022年6月17日、“福島原発事故の国に責任なし“との判断を下した最高裁判決は、この基本から全く外れた陳腐な判断だった。「仮に、経済産業大臣が津波対策を命じたとしても、設置された防潮堤は南東側の津波高を15・7bと予測し(ていたので)、実際は東側から15bに及ぶ津波(が押し寄せ)防ぐことはできず、非常用電源の喪失は免れなかった」というもの。防潮堤を建設する時、福島原発の南東側だけ15・7b以上の高さにし、東側の壁はストンと低くすることはありえない。津波が、原発沖の東側だけで急に低くなるという根拠もない。実際の工事は原発周囲を一律に15・7b以上で囲むはずだ。
さらに、「仮に」という言い方はおかしい。政府や官僚は、「仮定の質問にはお答えできません」と返事するが、いやいや、最高裁判決はしっかりと仮定の話で結論を出しているではないか。「仮に工事していても、事故は防げなかった」と。さらにひどいのは、仮定に基づく推理で持って「だから国に責任はない」と、国を免罪したことだ。
原発は万万が一にも事故を起こしてはならない、極めて高度の注意義務が課されている。判決にはその緊張感と使命感がすっぽり抜けている。「15・7bを超える防潮堤で福島原発全体を囲む工事をした」「非常用電源は高所に配置し水密化工事もやった」。100歩譲って、国があらゆる手立てを講じるよう指示していたなら、「確かに他に手は考えられなかった」と言えるかも知れない。何もしてないくせに「仮に」とはよく言えたものだ。
大手法律事務所をバックに政財界と癒着する最高裁判事は、経済利得と政権の意向を人の命や健康より優先する。フリージャーナリストの後藤秀典さんが不公正な司法の構造を明るみに出してから、世間の目も最高裁判事個人の資質に目が向くようになってきた。6・17不当判決の多数意見に立った草野耕一判事は3月に退官、最高裁民主化の運動が効いて後任には少人数法律事務所出身の高須順一氏に決まった。座右の銘は「反骨、長いものには巻かれない」という。しかし、退官間際に、また草野が東電刑事裁判で旧経営陣の責任なしとする不当決定を強行した。高須判事には、6・17最高裁判決に反対意見を記載した三浦守判事とともにまともな道を進んでもらいたいものだ。 (Y)
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