2025年05月02日 1869号
【沖縄・先島諸島 有事避難計画/戦場化が前提の戦争準備/全土軍事要塞化で逃げ場なし】
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「台湾有事」に備え、沖縄・先島諸島の住民ら約12万人を九州・山口の8県に避難させる計画を政府が発表した。日米共同の中国封じ込め作戦をスムーズに進めるためだが、避難による住民保護が机上の空論でしかないことは沖縄戦の歴史が証明している。
「机上の空論」と批判
政府は3月27日、中国が台湾に武力侵攻する事態を念頭に、地理的に近い先島諸島の住民らを避難させる計画の概要を公表した。計画の策定は国民保護法に基づく。日本への武力攻撃が予測される場合に避難が実施される。
避難対象となるのは、宮古島市、石垣市、竹富町、与那国町、多良間村の先島諸島5市町村の住民と観光客。民間フェリーや航空機を利用して、最大12万人を6日間で輸送する方針だ。避難先は九州7県と山口県計32市町。受け入れ期間は1か月としている。
政府は2026年度に最終的な計画を完成させ、住民が参加する実動訓練を行うとしている。だが、この有事避難計画には、送り出す側・受け入れる側の双方から疑問や不満の声が上がっている。ある自治体の幹部は「国がやるというから付き合っているだけ。机上の空論だ」と批判する(3/28東京新聞)。
特に沖縄では「戦場化を前提とした計画は受け入れられない」(3/28琉球新報社説)との声が強い。「有事の際に真っ先に標的になるのは軍事施設だ。軍事要塞化が進む沖縄で住民が安全に避難できる保証はない」というのである。
台湾をめぐり米中が軍事衝突するとなれば、米軍や自衛隊の基地が集中する沖縄島がミサイル攻撃の標的になる。ところが、政府の避難計画は先島諸島を対象にしたもので、人口約130万人の沖縄島については何のプランも示していない。避難計画など立てようがないからであろう。

沖縄戦の歴史が証明
沖縄タイムスは「ひとたび戦争が起これば住民犠牲は避けられない。これが沖縄戦の一番の教訓である」(3/30社説)と断じている。避難で住民を守り切れないことは歴史が証明しているというわけだ。
1944年7月、政府は緊急閣議を開き、南西諸島から約10万人の老幼婦女子と学童を「国策」として県外へ疎開させることを決定した。戦場と化す沖縄から足手まといとなる者を排除し、軍の食糧を確保することが狙いとされる。要するに、住民の命を守ることよりも軍の作戦を優先した強制退去であった。
沖縄からの疎開輸送船は米軍の標的となり、多くの犠牲者を出した。学童を乗せた対馬丸の沈没(1944年8月、米潜水艦の魚雷攻撃を受けた)が知られているが、機密保持が徹底されたため戦時遭難の全容は明らかになっていない。
八重山諸島では軍の命令により住民の強制疎開が行われた。移動先がマラリア発生地帯であったため、多くの住民がマラリア禍で死亡した。いわゆる戦争マラリアである。石垣島に住む山里節子さん(87)は祖父と母を戦争マラリアで亡くし、自身も感染した。妹は避難生活中の栄養失調で、兄は米潜水艦の魚雷攻撃で亡くなった。
沖縄の島々の戦場化を前提とした今回の避難計画について、山里さんは「国は戦後、二度と戦争をしないと誓ったはずだ」と怒る。「住民を荷物扱いするな」と訴え、国の計画を「小さな島がまた被害をこうむらないといけない状況にしようとしている」と批判した(3/28琉球新報)。
有事計画より外交努力を
政府が「台湾有事」避難計画を発表した3月27日は、大刀洗空襲によって幼い命が奪われた日である。1945年3月、米軍は九州上陸作戦を前に、西日本における陸軍の航空拠点だった大刀洗飛行場(現在の福岡県筑前町、大刀洗町、朝倉市)の破壊を企てた。
最初の空襲があった3月27日は国民学校(小学校)の終業式だった。式の最中に空襲警報が鳴り、子どもたちは教員の引率で学校近くの森に逃げ込んだが、投下された爆弾の1発がこの森を直撃し、児童31人が亡くなった。
この悲劇は軍事施設が攻撃されると周辺地域にも被害が及ぶことを物語っている。国土が狭い日本では、軍事施設が住民の居住地のすぐそばにあることが多い。そのうえ、「南西シフト」と称して自衛隊基地の機能強化や弾薬庫の新設・増設が各地で進んでいる。
自衛隊幹部の中には、国際人道法の「軍民分離」原則を口実に住民避難の必要性を説く者もいるが、日本全土で軍事要塞化が狙われている以上、「軍民分離」は不可能だ。安全な場所はないのである。
住民の生命を守るために必要なのは戦争準備ではない。緊張緩和と軍縮に向けた外交努力である。(M) |
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