2025年05月09日 1870号
【読書室/沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか/林博史著 集英社新書 1130円(税込1243円)/現在の状況と重なる「捨て石」作戦/歴史から学ぶ「生きるための教訓」】
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県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦から80年。日本全体の戦場化を想定した施策が次々と実行されている今、私たちは沖縄戦から何を学び、活かしていくべきなのか。林博史著『沖縄戦 なぜ20万人が犠牲になったのか』(集英社新書)は、そうした問題意識に貫かれた「沖縄戦史の決定版」である。
自国が戦場になる時
沖縄戦はアジア・太平洋戦争の最終盤に行われた大規模な地上戦である。沖縄に米軍が上陸した1945年3月末から住民を巻き込んだ激しい戦闘が3か月にわたってくり広げられた。軍人軍属、民間人をあわせた死者は20万人を超える。民間人の死亡が軍関係者より多いのが特徴だ。
沖縄を本土防衛の捨て石と位置づけた旧日本軍は住民に多大な犠牲を強いた。その事実を現在の日本政府や自衛隊は認めようとしない。沖縄戦の悲劇を繰り返さないための努力を放棄したまま、中国との戦争を念頭に、日本全土を米国の捨て石にするような戦争準備を進めている。
琉球弧(南西諸島)へのミサイル部隊配備と住民避難計画、中国等のミサイル攻撃を受けても司令部機能は生き残れるようにする自衛隊基地の「強靭化」計画、それらを進めるための軍事予算の倍増、などなど。
「司令部だけが地下にもぐって生き延びるような状況になった場合、その周辺に住んでいる人々はいったいどうなっているのだろうか。日本軍だけが地下の壕(ガマ)に潜んで生き延び、住民は壕から追い出されて砲爆撃にさらされた沖縄戦の状況と重なってみえてしまうのは考えすぎだろうか」と著者は言う。
全国各地の空港や港湾などの民間施設まで軍事利用が進められている今、狭い地域に人口が密集している日本が戦場になることの意味を沖縄戦の経験からくみ取る必要がある。
戦争準備と行政
戦争を進めていくためには、国家社会の仕組みを戦時シフトに切り替え、意識面を含めて人びとをそこに動員していく戦時体制づくりが不可欠だ。その第一歩は、戦争遂行や戦時体制を批判する運動や思想を潰すことである。沖縄もそうだった。反貧困や非戦の運動が徹底的な弾圧を受け、潰されていった。
学校では「天皇・国家のために命を捧げる人間」の育成が進められ(皇民化教育)、マスメディアは戦意高揚を煽った。行政機関は地域社会を使って人びとを戦争へ動員していた。特に、1945年1月に島田叡(あきら)知事が着任して以降、「県民総武装」化が進んだ。
沖縄県民に対して「最後まで抵抗し、敵を殺せ」と指示したような知事を「県民の命を救った“島守”」として称賛する風潮が近年目立つ。著者が厳しく批判するように、指導者の戦争責任を不問にした「戦後社会が生み出した病理」というほかない。
死を拒んだ人びと
日本軍の強制と誘導によって引き起こされた「集団自決」は沖縄戦の悲劇の象徴といえる。それは日本軍が駐留していた慶良間諸島のような外部から隔離され逃げ場がない状態で、日本軍も島民もみな死ぬしかないと思わされた状況下で起きている。日本軍がいないところでは、住民は集団で米軍に投降し助かったケースが多いのだ。
ハワイ帰りの移民体験者がガマに立てこもる住民を説得して投降させた例、出稼ぎ先で米兵捕虜と一緒に働いた経験から「アメリカ人も人間だ」と人びとを説き伏せた例、世代的に皇民化教育を受けていない高齢者が手榴弾を捨てさせた例、逆に、小さな子どもが発した「生きたい」との言葉が死にはやる大人たちを思いとどまらせた例…。
「私たちは、死を強制する日本国家と軍に抗して、生きることを戦い取った人々からもっともっと学ぶべきではないか」と著者は強調する。沖縄全体が日本が行う侵略戦争に駆り立てられる状況下でも、「日本軍や政府の宣伝を鵜呑みにせず批判的に見ることができた」人がいた。「お上の言うことに従っていれば死ぬしかない状況のなかで、自分たちの頭で考え判断し行動する人々がたくさん生まれてきた」のである。
「この沖縄戦の経験は沖縄社会を、沖縄の人々を大きく変えた」と著者は指摘する。戦後の米軍基地支配に対する闘いである。「自らの人権を自らの意思と行動で勝ち取る運動を粘り強くおこない、日本復帰を勝ち取った。これは植民地の独立あるいは自国の軍事支配からの民主化に匹敵する運動の成果だったと言ってよいだろう」
政府やマスメディアが宣伝する「軍事の論理」に抗し、平和と人権を希求しづづけること。それが沖縄戦が私たちに伝える「生命と安全を守るための教訓」ではないだろうか。 (O)
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