2025年05月16日 1871号

【「ひめゆり」めぐる西田発言/沖縄戦認識の上書き狙う/「軍民一体」の強調は戦争準備】

 沖縄戦に動員され命を落とした女子学徒隊の追悼碑である「ひめゆりの塔」について、自民党の西田昌司参院議員が「歴史の書き換えだ」などと批判した。沖縄戦の実相を歪曲する暴言だが、その背景には沖縄の戦場化を想定した日本政府の軍拡策動がある。

歴史教育批判

 問題の発言は、5月3日に那覇市内で開かれた「憲法シンポジム」(沖縄県神社庁と神道政治連盟県本部、日本会議県本部などが主催、自民党沖縄県連が共催)の場で飛び出した。記念講演で登壇した西田は、「何十年か前」に訪れたというひめゆりの塔について、「今はどうかは知らないが、ひどい。歴史の書き換えだ」などと主張した。

 西田はなぜこんなことを言ったのか。全国紙の報道は踏み込みが甘く、発言の意図が分かりづらい。そこでテレビ局の取材映像から問題の部分を書き起こしてみることにする。

 「これから本当に非常緊急事態が出てくる前に、国民保護の法整備をしなければならないんですけれども、そのためにはまず、我々自民党の議員が、間違ってきた戦後の教育とかね、このデタラメなことをやってきたというのをやらなきゃいけない」

 「特に沖縄の人にお願いしたいのは、ひめゆりの塔ですかね。今どうか知りませんけどひどいですね。説明のしぶりを見ていると、日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになったと。そして、アメリカが入ってきて沖縄は解放されたと。そういう文脈で書いてるじゃないですか。亡くなった方は本当に救われません。歴史を書き換えられるとこういうことになるわけです」

 「京都は共産党が非常に強い地域ですが、ここまで間違った歴史教育はしてません(注・西田は京都選挙区選出)。沖縄は地上戦の解釈を含めて、かなりむちゃくちゃな教育のされ方をしてます。だから我々自身が自分の頭で考え、自分たちが納得できる歴史を作らないといけないと思いますよ。それをやらないと日本は独立できないんです」

自発的協力に歪曲

 このように、西田は中国との戦争、いわゆる「台湾有事」を念頭に語っている。日米共同の軍事作戦が発動した場合、最前線となるのは沖縄だ。日本政府は「第二の沖縄戦」を想定し、民間施設を含む全島軍事要塞化を急いでいる。

 しかし、こうした戦争準備に反対する声は根強いものがある。「軍隊は住民を守らない」という沖縄戦の教訓が県民意識の根底にあるからだ。西田はその原因を「間違った歴史教育」に求め、「やらなきゃ(つぶさないと)いけない」と言っているのである。

 夏の参院選への悪影響を懸念した公明党や自民党内からの批判を受け、西田はひめゆりの塔に言及した部分については発言を撤回し、謝罪した(5/9)。ただし沖縄戦の解釈は訂正しないと強調している。戦争勢力にとって譲れないことだからであろう。

 西田は「自分たちが納得できる歴史を作らないといけない」と述べている。それはどういうものか。5月7日に釈明会見を行った際、西田は「沖縄戦は民間の方もたくさん犠牲になったが、日本人を守るために先人は戦った」と述べていた(5/8読売)。沖縄戦は“軍民一体の祖国防衛戦争だった”と言いたいのだ。

 文部科学省の検定に昨年合格した令和書籍(社長はネトウヨ作家の竹田恒泰)の中学教科書は、沖縄戦における旧制中学生らの戦場動員を「志願というかたちで学徒隊に編入」と記述している。当時の若者たちが自発的に戦争に協力したことにしたいのである。

軍隊がいたゆえの悲劇

 史実はどうだったか。日本軍は兵力不足を補うために沖縄県民を「根こそぎ動員」した。沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校からも生徒・教員240人が看護要員として動員され、うち136名が死亡した。2校の愛称が「ひめゆり」であったことから、戦後「ひめゆり学徒隊」と呼ばれるようになった。

 こうした学校単位の動員とは別に、義勇隊などとして戦場に駆り出された住民がいた。当時の役場職員は、軍の命令を受け、住民を前線への弾薬運搬などに動員したと証言する。役場を通さず、軍が直接、避難壕に残っていた住民を駆り出すこともあったという。

 沖縄県民の戦場動員は日本軍と県当局が組織的に実行したことである。本来は非戦闘員である人びとに軍務を担わせ、死に追いやったのだ。軍国主義教育に凝り固まった学校は、進んで学徒隊に参加するよう生徒たちを誘導していた。

 やはり「軍隊は住民を守らない」。沖縄戦を「軍民一体の愛国美談」化する歴史修正主義の策動を許してはならない。   (M)

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