2025年06月06日 1873号
【戦争とめよう!つながり平和をつくろう!/ZENKOスピーキングツアー/】
|
「戦争とめよう」「つながり平和をつくろう」と呼びかける2025ZENKO(平和と民主主義をめざす全国交歓会)スピーキングツアーが5月24日、始まった。6月1日まで連日、全国9会場で行われる。
自治と自立が軍事化を止める/地域に根ざした闘いと抵抗を/東京
24日の東京・大田区集会は与那国島の小嶺博泉(ひろもと)さんを、25日の同北区集会は宮古島の清水早子さんと韓国・群山(クンサン)のキム・ヨンテさんをゲストスピーカーに迎えた。DSA(アメリカ民主主義的社会主義者)からは連帯メッセージが寄せられた。(いずれも要旨別掲)
大田区集会では、ツアー・テーマ「つながり平和をつくろう」にふさわしい質疑応答が。「与那国・自立へのビジョン」とは、との質問に小嶺さんはこう答えた。「私は牛飼い。和牛に食べさせる穀物飼料を中国から輸入するために与那国からタグボートを出し、そこで税関手続きをする。コストは下がり、和牛肉は安くなる。食料自給率も少しは上げていけるし、市場も開拓できる。国境に接している与那国だからこそ、東アジアを見据えながらのビジョンをつくれる」
北区集会では、清水さんが「キムさんの報告スライドに、済州(チェジュ)にお訪ねしたムン・ジョンヒョン神父の姿が見えた。宮古島に群山・平沢(ピョンテク)のみなさんが来てくださったことも。民間レベルの国際連帯をつくっていきましょう」と話し、ZOOM画面上でキムさんと笑顔を交わす場面があった。
会場には、軍事要塞化が進む琉球弧の島じまの写真や(大田区集会)、沖縄戦跡・遺骨救出活動の写真・収集品(北区集会)が展示され、キャンプ座間フィールドワークや「軍民分離原則」遵守を求める神奈川県要請、品川でのJアラート避難訓練抗議、幕張メッセ武器見本市抗議など戦争準備に抗する各地の取り組みの報告が続いた。


小嶺博泉(ひろもと)さん(畜産農家・元与那国町議)/人間が住み、生業(なりわい)が活性化することこそ
与那国町は2005年、「与那国・自立へのビジョン」を策定した。自立・自治・共生を基本理念に「東アジア経済圏の切っ先」をめざすもの。酒場でも家庭でも「自分たちの町をこうやってつくる」とわぁわぁ議論した。町議会議員だった私も夜な夜な居酒屋に呼ばれ、意見を求められた。「士気が上がっている。活性化ってこういうことなんだ」と思える時期だった。
ところが、同時に自衛隊誘致というワードが出てきた。町議会の誘致要請決議には私一人だけが「人間が暮らしやすく、事業者ができていくことが地域の賑わいの肝(きも)。基地交付金より、消費税・法人税をゼロにするほうが費用対効果が上がる」と反対した。
今、賑わいどころか「台湾有事」なら島から避難しなさい、という話に。「軒先貸して母屋奪われる」とはまさにこのことだ。
80年前の戦争被害は「受忍」論により何一つ補償されていない。危険だというなら、一番守るべきはそこに住む人間の命・生業・財産・文化ではないのか。

清水早子さん(ミサイル基地いらない宮古島住民連絡会)/反戦の抵抗を足下で、そして可視化を
島内各地に航空自衛隊のレーダー基地や地対空誘導弾パトリオット、陸上自衛隊のミサイル部隊や弾薬庫などが配備され、駐屯する隊員はおそらく1000人近い。4月、平良(ひらら)港が「特定利用港湾」に追加指定され、平時でも軍事利用できるようになった。
生活の中にも新たな戦前の空気が流れ込む。島のある場所に250枚の遺体収容袋が置かれている。駐屯地内の「御嶽(ウタキ)」の所有権が防衛省に移り、宮古島沖ヘリ墜落事故で亡くなった隊員10人を「黒鷹の勇士」と称(たた)える慰霊碑を設置。島の女性を対象にした「婚活」パーティー、トライアスロン大会への迷彩服を着用しての参加、高校生の体験入隊など、住民の懐柔策が多岐にわたり行われている。
沖縄戦当時、3万人の日本軍が宮古島にいた。台湾や朝鮮半島から少女らが連れて来られ、18か所の「慰安所」で「慰安婦」にされた。この歴史を繰り返してはならない。
反戦の抵抗を足下で続けよう。それを可視化し、市民の目に触れさせよう。
 |
|