2025年07月11日 1878号

【「殺さない権利」を求めて(10)――非暴力・無防備・非武装の平和学 前田 朗(朝鮮大学校講師)】

 1921年、新渡戸稲造・国際連盟事務次長はフィンランド・スウェーデン紛争となっていたオーランド諸島問題を担当しました。オーランド諸島はフィンランド領ですが、スウェーデン語を話すスウェーデン系住民が住み、スウェーデンへの編入を要望しました。バルト海の要衝の地にあるため、イギリス・フランス・ロシアのせめぎ合いの場でもありました。オーランド諸島はグレートゲームの最前線でした。

 グレートゲームとは19〜20世紀のイギリスとロシアの軍事対立をイギリス側から命名した用語です。“海の帝国”イギリスが“陸の王者”ロシアを封じ込めるための戦略です。グレートゲームは各地で衝突しましたが、特に重要な場所が4つありました。第1がバルト海です。第2がクリミア半島です。両者をつなぐのがポーランドやウクライナです。欧州とロシアの狭間であり、ユダヤ人迫害が吹き荒れた地です。第3がアフガニスタンです。南下するロシアと、インドを植民地にしたイギリスの対抗です。3次にわたってアフガニスタン戦争が戦われました。第4が朝鮮半島です。日英同盟を背景に日本が日露戦争を経て韓国併合に突き進みました。

 オーランド諸島、クリミア半島、アフガニスタン、朝鮮半島――イギリスとロシアのグレートゲームのフィールドにされたのがこの地域です。

 1809年にロシア軍がオーランド諸島を攻撃しました。その後、ロシア軍基地が建設されましたが、1853年のクリミア戦争の際、英仏連合艦隊がオーランドのロシア軍ボーマルスン基地を猛攻撃して破壊しました。首都マリエハムンから車で30分ほど走ると、破壊されたロシア軍基地跡を見に行くことができます。1918年にはオーランド諸島でソ連邦、スウェーデン、ドイツの戦闘が起きています。

 こうした歴史を背景にジュネーヴの国際連盟で新渡戸稲造が調停を開始しました。スウェーデンが領有を主張したのに対して、フィンランドが住民自治の強化と非武装化を提案しました。新渡戸の発案とも言われています。新渡戸は原敬首相と電報でやりとりしながら、オーランドの非武装化を進めました。1921年の非武装化条約により、(1)オーランドはフィンランド領とする、(2)スウェーデン系住民の自治権を大幅に強化する、(3)非武装とし、フィンランド軍も立ち入らない、という枠組みが決まりました。オーランドは非武装・中立・自治の島になりました。

 マリエハムンのオーランド自治政府の廊下に1枚の絵が飾られています。新渡戸が立って、他のメンバーに演説をしています。窓の外にはレマン湖とおぼしき湖が見えます。ジュネーヴの国際連盟会議室でしょう。この絵のレプリカが、ジュネーヴのパレ・デ・ナシオン(国連欧州本部)のアートギャラリーに飾られています。紛争解決のオーランド・モデルの決定的瞬間を描いた絵です。

 オーランド・モデルは紛争解決の方策であり、必ずしも平和主義というわけではありませんが、歴史の中で平和主義が意味を持つようになります。
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