2025年07月18日 1879号

【参院選 外国人攻撃の競い合い/「自国第一主義」という罠/欧州の極右台頭と同じ現象】

 7月20日投開票の参議院選挙について、報道各社の情勢分析が出そろった。政権与党である自民党・公明党の大敗、国民民主党と参政党の躍進で一致する。新自由主義政策に対する人びとの不満を極右政党がさらっていく――近年の欧米諸国と同じ現象だ。

自公敗北は必至だが

 読売新聞の序盤情勢分析によると、自民党は大幅減の見通しで獲得議席数が40前後にとどまる可能性がある(改選52議席)。公明党との合計でも50議席前後で、非改選を含めた定数の過半数(125議席)が微妙な情勢になっている。

 政権与党の議席がしぼむ一方、減少分は野党第一党の立憲民主党ではなく、国民民主党と参政党に移るかたちになっている。朝日新聞の情勢分析によると、両党は改選議席を大きく上回り、ふた桁議席の獲得を視野に入れる勢いだ。

 「朝日」の調査はSNS重視層(政治や選挙に関するSNSや動画サイトの情報を重視している人)に比例区の投票先を聞いている。参政が最多の24%で、国民民主の19%、自民の17%が続いた(立憲6%、れいわ10%、共産3%)。

 「日本人ファースト」を掲げる参政の急伸を目の当たりにして、競合相手と見られる政党が追随し始めた。自民は「違法外国人ゼロに向けた取り組みの強化」を、維新は「外国人比率の上昇抑制」を参院選の公約に書き込んだ。

 国民民主は「排外主義批判」を意識して「外国人に対して適用される諸制度の運用の適正化を行う」に修正したが、もともとは「外国人に対する過度な優遇を見直し、日本人が払った税金は日本人のための政策に使います」(公約パンフ)と訴えていた。

不満のはけ口に

 参政を含むこれらの政党は「外国人を叩けば票になる」とみている。実際のところはどうなのか。JX通信社と選挙ドットコムが東京都議選の一週間前に「重視する政策争点」を都内の有権者に聞いたところ(複数回答)、「外国人・インバウンド対応」を挙げた人が17・1%いた。「教育・子育て」11・7%よりも高い割合なのだ。

 このように、生活苦に対する不満を外国人批判に結びつける人が増えている。横浜市の主婦(35)は「政府が留学生の授業料や生活費を出している」と強調するユーチューブ動画がきっかけで、参政党に期待するようになったという。彼女自身は奨学金を500万円ほど借りた。貯金を取り崩しながらの返済があと3年続くと言い、「不公平だ」と語る(6/25朝日)。

 また、各地で広がる財務省解体デモでは「日本人のためにお金を使え」や「ジャパニーズ・ファースト」といったプラカードが林立しており、日の丸や旭日旗を打ち振る者もいる。彼らの認識では、財務省は財政均衡主義に固執し減税に反対する「反日」ということになるのだろう。

 こうした傾向に参政党は目を付けた。彼らが唱える「日本人ファースト」とは「外国人のために税金を使うな」という主張である。「国民に奉仕することが国家の役割なのに、今の政府はグローバル化を優先し、真の国民である我々日本人をないがしろにしている」という論理だ。

「敵」は虚像でいい

 欧州の極右ポピュリスト政党も同様の言説で労働者層の支持を集めている。たとえば、今年2月のドイツ連邦議会総選挙で第2党に躍進した「ドイツのための選択肢(AfD)」は、「難民よりも私たちの生活を優先せよ」と主張する。

 昨年9月の総選挙で初めて第1党になったオーストリア自由党(過半数に届かず連立政権入りはできなかった)は、綱領に「オーストリア第一」を掲げている。フランスの極右「国民連合」のスローガンは「フランス人が第一」だ。

 「移民が社会問題になっている欧州と日本は同列に語れない」という人もいるだろう。しかし極右ポピュリズム政党にとって排撃の対象となる「敵」は、必ずしも現実の脅威である必要はない。ハンガリーのオルバーン政権がとった手口をみてみよう。

 2015年、側近のスキャンダルが相次ぎ支持率が低迷していたオルバーン・ヴィクトル首相は、イスラム系の移民を新たな「敵」に仕立てることを思いついた。ハンガリー国内の人口に占める外国人の割合はわずか1・4%で、彼らのなかでもイスラム教徒はごく少数派だったが、オルバーンは徹底した反イスラムキャンペーンを展開。支持率をV字回復させた。

 日本の現状はこれに似ている。極右勢力は、人びとがその存在を気にし始めた外国人に対する些細な不満や漠然とした不安感に付け込み、差別意識を煽動する。そうすることで「自国第一主義」や「外国人に対する規制強化」を主張する自分たちへの支持につなげようとしているのだ。

結局は補完勢力

 『ルペンと極右ポピュリズムの時代』(白水社)の著者である渡邊啓貴・東京外国語大学名誉教授は、極右勢力による反グローバリズムの主張は左翼のそれとは違うものだと指摘する。「左翼の批判は第一に資本主義システムという経済制度そのもの対する批判」だが、極右の批判は「主権の喪失への懸念に重点がある」というのである。

 つまり、極右の反グローバリズムとは「市場経済と利益競争は肯定」しつつ、その「国際的画一化と受益者であるエリート」を批判するものであって、「労働者のための社会を第一とするのではない」ということだ。日本の参政党もそうだ。彼らの新憲法構想をみると、労働者の権利保障にまったく触れていない。

 欧州でも日本でも、今どきの極右は一般大衆の味方の顔をして近づいてくる。しかしそれは偽りの仮面にすぎない。    (M)



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