2025年08月08日 1882号

【シネマ観客席/木の上の軍隊/監督・脚本 平 一紘 2025年 日本 128分/「なぜここで戦うんですか」】

 井上ひさし原案の舞台劇を映画化した『木の上の軍隊』(平一紘監督)が公開中だ。本作は実話を基にしており、沖縄出身の映画監督が手掛けた初めての本格的沖縄戦映画でもある。戦争勢力による沖縄戦の歪曲が進む中、映画は「島の戦争」をどう描いたのか。

2人だけの戦争

 1944年夏、沖縄県伊江島では日本軍の飛行場建設が急ピッチで進んでいた。陸軍少尉・山下一雄の任務はこの島を「不沈空母」に改造すること、そして米軍が上陸してきた場合に備え「軍民一体」の戦闘態勢を構築することだった。

 やがて完成した飛行場は米軍の標的となり、激しい空爆で多くの島民が犠牲になる。翌年4月16日、ついに米軍の上陸作戦が始まった。守備隊はほぼ全滅。米軍に追い詰められた山下は、伊江島出身の新兵・安慶名セイジュンとともにガジュマルの木の上に身を隠す。

 その日から長く孤独な戦いが始まった。徹底抗戦の信念を崩さない山下。生きて家に帰りたいセイジュン。互いに理解できなかった2人だが、島を占領した米軍のゴミ捨て場を漁り命をつなぐ日々の中で、関係性が変わっていく…。

「本土」と沖縄の関係

 木の上に逃れた2人の日本兵が戦争終結を知らないまま2年もの間そこで生き抜いた―。これは実際の出来事であり、彼らが過ごしたガジュマルの大木は今も伊江島に残されている。

 本作は価値観がまったく違う2人のドラマである。山下は「戦って死ぬことが帝国軍人の誉れ」という考えにとらわれていたが、少年のようなセイジュンと接するうちに、子を持つ親としての人間性を取り戻していく。「命こそ宝」という沖縄の精神が「軍隊の論理」を凌駕したのだ。

 また、米軍基地のおこぼれで命をつないだ2人は戦後日本の暗喩でもある。米国の飯(米兵の残飯)を食らい、米国の姿で生活(米兵が捨てた軍服を着用)しているうちに、基地がどんどん大きくなっても気にならなくなっていた。

 そんなある日、セイジュンは沖縄独特の位牌を米軍のゴミ捨て場で見つける。島の者が先祖の魂が宿る位牌を捨てることなどありえない。「ぼくは…、あの基地をぶっ壊したいです」。怒りに震えるセイジュンは、そもそもの原因を作った一人である山下に問う。「なんでここで戦うんですか。なんでここでなんですか」

 「俺たちは国土を守っている。国を守って初めて家族が守れるんだろうが!」と山下。セイジュンは納得できない。「でもぼくには…ここしかないんです。どれだけ苦しくても、ぼくの帰る場所は…」。現在の日本政府と沖縄の関係を象徴する場面だ。

沖縄戦の縮図

 本作は2人の会話劇である舞台をベースにしているため、時代状況の説明があまりない。伊江島の戦争と戦後に関する一定の知識がないと、演出意図が伝わりにくいのだ。そこで映画を理解する上で必要な史実を補足しておきたい。

 飛行場建設にあたり、日本軍は農耕地や住宅地を強制的に取り上げたほか、多くの島民を動員して重労働にあたらせた。また、兵力を補うため、防衛隊、青年義勇隊、女子協力班などとして徴用した。

 米軍の上陸作戦が始まると日本軍はたちまち壊滅状態に陥った。爆雷や手榴弾を持って敵戦車に体当たりする肉弾攻撃がくり広げられ、米軍が残した記録には「乳飲み子を背負った婦人も竹槍を手に陣地に突撃してきた」とある。

 日本軍は民間人に対しても捕虜になることを許さなかった。このため追い詰められた人びとによる「集団自決」(強制集団死)が島の各地で起きた。自分の集落に安否確認に行こうとして日本兵に捕まり、スパイ容疑で殺された者もいる。

 何とか生き延びた人びとは米軍の捕虜となり、慶良間諸島に強制移動させられた。戻ってきた時には伊江島の面積の6割が米軍に奪われていた。1950年代に入ると、米軍はさらなる基地拡張のため土地の取り上げを本格化する。

 「軍民一体」の戦闘で多くの犠牲者を出した伊江島の戦争は「沖縄戦の縮図」と言われる。今なお続く基地支配を踏まえると、戦後史も含めた沖縄の縮図といってもいい。「軍隊は住民を守らない」という教訓を体現する島なのだ。

 戦争国家づくりを進める勢力は今、沖縄戦の教訓を無効化しようと躍起となっている。たとえば、参政党の神谷宗幣代表は「日本軍は沖縄県民を守りに来た」「その人たちが戦ってくれたから本土復帰もできた」と吹聴している。

 デマによる歴史のねつ造を許さぬためにも、沖縄戦の歴史に学んでほしい。有名俳優が出演するメジャー映画である本作は、そのきかけとなろう。  (O)

MDSホームページに戻る   週刊MDSトップに戻る
Copyright Weekly MDS